2010年10月30日

第16番 観音寺


四国八十八カ所 第16番札所 観音寺





光耀山 千手院 観音寺 (かんおんじ)

〔所在地〕 徳島県徳島市国府町観音寺49-2

〔宗派〕 高野山真言宗

〔本尊〕 千手観世音菩薩

〔開基〕 弘法大師

〔真言〕 おん ばさら たらま きりく

〔略縁起〕 聖武天皇が全国に国分寺、国分尼寺を創立させたのと時期を同じくして開かれたと伝えられる。 のちの弘仁7年(816)、大師がこの地を訪れ、千手観世音菩薩を刻んで本尊とし、現在の寺号を定めたとされる。 同時に大師は鎮護国家を祈って毘沙門天を、悪魔退散の意をこめて不動明王を刻み、本尊の脇侍として安置した。 寺はのち戦火によって焼失したが、万治2年(1659)に僧宥応が再建し、現在に至っている。
-『四国八十八カ所』から-



              本堂                           大師堂













八幡大神宮・惣社大御神
  八幡総社両神社の由緒   阿波国の総社として、阿波国府の所在地に設けられた神社。 国司の重要な仕事の一つに、管内の官社及び国司の崇敬する神社を祭祀することがあり奈良時代国司はこれらの神社に幣を奉り、これに詣ずるを例としたが、平安時代中期以降、中央政治の乱れにより、地方行政も弛緩し、祭祀も規定通りに行われなくなり、従来国司の祭祀してきた管内諸神社の神霊を国府(国司庁)に近いところに勧請し、参拝の便をはかったのが総社の起源である。 当社はその総社と、近在の八幡神社を合祀したもので、安政三年(一八五六年)再建の棟札を存する。 「寛保改神社帳」には「観音寺村惣社大明神」「観音寺村八幡宮」とある。 なお、南方五〇〇メートルほどはなれた所に、面積約三千坪に及ぶと言われる当社の旧社地があったとされ、「総社が原」の呼称が現在に伝わっている。
 主祭神  (八幡神社) 応神天皇   (総社) 阿波国式内社五十座
 阿波国の式内社は大麻比古神社を始め五十座四六社あり、国府町内では大御和神社(府中の宮)、八倉比売神社などが式内社である。
   平成二十一年十月吉日   八幡総社両神社氏子中・夢ロマンの町国府協議会
-『境内石碑』から-



            忘れずも 導きたまへ 観音寺
                            西方世界 弥陀の浄土へ




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