2010年11月13日

木地師のふるさと(3)


筒井峠にある木地師の祖神・惟喬親王の御陵に参拝しました





筒井神社と筒井公文所
 縁起書に「惟喬親王、貞観七年十一月八日筒井に宇佐八幡宮を勧請す」とあり、藤原良房一門の権勢により母方が紀家であった親王は都を追われ、筒井峠の山中に幽棲、剃髪して素覚と号し、常に法華経を読誦され轆轤を発明して木地師の元祖になられたと伝える。
 宇佐八幡と惟喬親王を祭る筒井神社は筒井公文所と共に明治年間までは北方の山中筒井峠に、筒井千軒の遺跡と共にあった。
 筒井公文所は古来全国木地師の総支配所であり木地師免許、諸国関所往来手形、山入り許可状などを常に発行していた。
 全国各地への氏子狩は古く、尺文、永禄年間に始まるが、正保四年~明治十五年の氏子駆帳(県町指定文化財)には諸国の木地師名五万余人が記され、巡国先は北は羽前、羽後、陸前、磐城、岩代から中部、近畿、中国、四国、更に豊前、豊後、肥後、日向の四十六ヶ国と全国にまたがり、なお現在も各地よりの参詣者が後を絶たない。
  永源寺町教育委員会
-筒井神社案内板から-



           惟喬親王尊像                      惟喬親王御陵












            筒井八幡宮                筒井神社旧跡 惟喬親王御霊塔石碑





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