2010年12月13日

因幡国一宮 宇倍神社


武内宿禰命終焉の地
因幡国一宮 宇倍神社
 (うべじんじゃ)


難波高津宮(仁徳天皇)五十五年春三月、大臣武内宿禰、御年三百六十余歳で因幡国に下向され、亀金に双履を残してお隠れになった。 因幡国法美郡の宇倍山の麓に神社があり、武内宿禰の御霊である。
-『因幡国風土記』逸文から-
















因幡国一宮 宇倍神社 (うべじんじゃ)

〔鎮座地〕  鳥取県鳥取市国府町宮下一宮651

〔社格〕  旧国幣中社  因幡国法美郡の式内社・宇倍神社(名神大)

〔御祭神〕  武内宿禰命 (たけのうちすくねのみこと)


因幡国一之宮 宇倍神社
御祭神武内宿禰命は上古、景行天皇以下五期の天皇に歴任され、奥羽から九州の果てまで東奔西走、日本の発展に努力され、さらに神功皇后を御輔けして日本の統一に尽力されました、また応神天皇のご成長を見守られながら大陸文化を導入されて平和と繁栄の礎を築き国の功神として我が国最初の大臣とされました。
武内宿禰命は仁徳天皇五十五年因幡国に下向され御社背後の亀金岡にて双履を残し、三百六十余歳を以て昇天されました。
この由緒をもって創建された宇倍神社は平安時代には名神大社、因幡国一ノ宮として尊崇され、明治四年には国幣中社に列せられました、また明治三十二年、現在の御社殿新築のおり命の御尊像と共に当社全景が全国で最初に紙幣に載せられ、以後大正、昭和と五円、一円紙幣で広く国民に親しまれて来ました。
古くから福徳長寿、厄除けの神として、また病気平癒交通安全や子供の成長を祈り、さらに志を打ち立てる社として広く崇敬されております。
 春例大祭 四月二十一日   秋祭 九月二十一日
-宇倍神社境内案内板から-



ご祭神 武内宿禰命(たけのうちすくねのみこと)
大臣の祖  武内宿禰命は第十二代景行帝より、成務・仲哀・応神・仁徳帝の5朝にお仕えされ、まことをつくして天皇の信任篤く、わが身を投げうって東奔西走、日本の統一に尽力されました。 わが国で最初に「大臣」の称を賜わり、総理大臣の祖ともいえる国の功神です。
子供の神  命はまた進んだ大陸文化を導入されて、古代大和朝廷の最盛期を築き上げられました。特に神功皇后を補佐して北九州に出陣されご活躍になったことは有名で、ご幼少の応神天皇(八幡さま)を抱き奉る姿は五月端午の節句に掲げる幟の絵柄となっております。
長寿の神  命は仁徳天皇五十五年春三月因幡国の亀金岡に双履を遺し、三百六十余歳でお隠れになったと記されています。古くから宇倍神社本殿の後丘にその霊跡と伝える石があり、双履石と呼ばれています。 日本一長寿の神さま御昇天の地です。
-『宇倍神社パンフレット』から-



              拝殿                            本殿














双履石(そうりせき)
御祭神「武内宿禰命」は第十二代景行天皇から仁徳天皇までの五朝にお仕えされ、大臣の祖として日本の国づくりに御活躍の後、仁徳天皇五十五年春三月、この亀金の岡に双履を遺し齢三百六十余歳にてお隠れになりました。  その石を双履石と称し命御昇天の霊石として今に伝わる当社の原点です。



 七宝水(延命水)  このお水は平安時代に百人一首にも詠まれた、いなば山の中腹から湧き出る清水をここまで引いたものです。 古くから日本一長寿の神「武内宿禰命」に由縁があり、病を除き延命に霊験あらたかなお水です。 また、体をととのえ飲むと美人になれる等、七つの効きめがあると云われ、七宝様のお水と呼ばれ親しまれています。



  武内宿禰命終焉之地石碑          福徳亀                国府神社





      立ち別れ  いなばの山の峰に生ふる
                    松とし聞かば  今かへり来む
                                                中納言在原行平




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