2011年03月11日
第44番 大寶寺
四国八十八カ所 第44番札所 大寶寺
菅生山 大覚院 大寶寺 (だいほうじ)
〔所在地〕 愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生2番耕地1173
〔宗派〕 真言宗豊山派
〔本尊〕 十一面観世音菩薩
〔開基〕 明神右京・隼人
〔真言〕 おん まか きゃろにきゃ そわか
〔略縁起〕 この寺の開基には二説ある。 一つは、大宝元年(701)、百済から来た僧が渡来してこの地に庵を結び、十一面観音菩薩を刻んで本尊とした説。 もう一つは、明神右京、隼人という兄弟の狩人がこの地で観世音菩薩を発見し、小袖に包んで安置した説。 いずれにしても、大宝年間(701~704)には、文武天皇の勅願所となり、その年号にちなんで大宝寺と号された。 弘法大師が来錫したのは、弘仁年間(810~824)。
-『四国八十八カ所』から-
本堂 大師堂
吽形像 仁王門 (楼門) 阿形像
久万町指定文化財 金剛力士像
材質 檜高さ 約三メートル
この金剛力士像二基は、享徳四年(一四五五年)に越前(福井県)の大仏師が作ったとされる。 作者は不明だが、大仏師は『法眼』という称号であったということは判っている。
仏の守護神であり、外敵を威嚇する身振りと表現を表し、正面から見て右の像は左手に金剛杵を持ち一喝するように口を開け、左の像は右手の指を開き怒気を帯びて口を結ぶ。二つの像を区別するとき口を開ける像を阿形の像、口を結ぶ像を吽形の像という。
明治七年(一八七四年)の大火で門は焼けたものの、この像は無事であった。昭和二七年(一九五二年)京都に修復に出して現在に至っている。
平成七年八月九日指定 久万町教育委員会
-境内案内板から-
〔左〕 種田山頭火 句碑
朝まゐりは わたくし一人の
銀杏ちりしく 山頭火
〔右〕 掘出観音堂
今の世は 大悲の恵み 菅生山
ついには弥陀の 誓いをぞまつ
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