2011年04月13日

近江国一宮 建部大社


近江国一宮 建部大社 一之鳥居



近江国一宮 建部大社 (たけべたいしゃ)

〔鎮座地〕 滋賀県大津市神領1-16-1

〔御祭神〕 (本殿) 日本武尊(やまとたけるのみこと)
       (相殿) 天明玉命(あめのあかるたまのみこと)
       (権殿) 大己貴命(おおなむちのみこと)

〔社格〕  旧官幣大社  近江国栗太郡の式内社・建部神社(名神大)

〔御神徳〕  日本武尊   厄除開運・受福出世・火難除神
         大己貴命   商売繁盛・縁むすび・病気平癒・醸造の神

〔御由緒〕 御祭神の日本武尊は僅か十六才にて熊襲を討ち更に東国を平定され、三十二才にして伊勢の能褒野に於て遂に崩御された。 父君景行天皇は尊の亡くなったことを大変嘆かれ、御名代として建部を定めその功名を伝えられた。 景行天皇四十六年(三一六)神勅により、日本武尊の御妃、布多遅比売命が御子、稲依別王と共に住んで居られた神崎郡建部の郷に社殿を創建し、尊を祀られたのが創祀とされる。
 天武天皇白鳳四年(六七五)四月に建部公安麿が国司の命を奉じて近江国府の設けられた瀬田郷大野山山頂に近江国の守護神として遷し奉り、孝謙天皇天平勝宝七年(七五五)に建部公伊賀麿が大野山の嶺から現在の地、瀬田神領に奉遷したと伝えられる。 又、大和国一宮大神神社より大己貴命を勧請して権殿に配祀された。
 歴朝の御尊信、武門武将の崇敬篤く、中でも源頼朝は伊豆に流される途中当社に参籠して武運長久を祈願し、後年源氏再興の宿願成って上洛の際、幾多の神宝と神領を寄進した。
-『全国一の宮めぐり』から-



     二之鳥居と参道              神門            拝殿と御神木・三本杉


  

      本殿前拝所              本殿と権殿             権殿と本殿



摂社 (四社)

〔左〕 摂社・聖宮神社 
〔祭神〕 大足彦忍代別命(景行天皇)
日本武尊の御父

〔右〕 摂社・大政所宮神社
〔祭神〕 播磨稲日大郎姫(景行天皇皇后)
日本武尊の御母



〔左〕 摂社・藤宮神社
〔祭神〕 布多遅能伊理毘売命
日本武尊の御妃

〔右〕 摂社・若宮神社
〔祭神〕 稲依別命
建部租神・日本武尊の御子



末社 (八社)


       〔左〕 末社・行事神社
       〔祭神〕 吉備臣武彦
             大伴連武日

       〔右〕 末社・弓取神社
       〔祭神〕 弟彦公



      〔左〕 末社・箭取神社
      〔祭神〕 石占横立
            尾張田子之稲置
            乳近之稲置

  〔右〕 末社・蔵人頭神社 (膳夫神社)
    〔祭神〕 七掬脛命 (料理の租神)



  〔左〕 末社・大野神社
  〔祭神〕 草野姫命
      (地主神)

  〔右〕 末社・武富稲荷神社
  〔祭神〕 稲倉魂命



 〔左〕 末社・八柱神社
〔祭神〕 素盞之男命他七柱命
 〔右〕 末社・檜山神社遥拝所
     (檜山神社旧本殿)
〔祭神〕 伊邪那美命・大山祇命・息長足姫命・武内宿禰大臣・住吉大神




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