2011年04月22日

若狭国一宮 若狭彦神社(1)


若狭国一宮 若狭彦神社(上社)




若狭国一宮 若狭彦神社(わかさひこじんじゃ)  通称 遠敷明神(おにゅうみょうじん)

〔鎮座地〕 若狭彦神社(上社)  福井県小浜市龍前28-7
       若狭姫神社(下社)  福井県小浜市遠敷65-41

〔社格〕  旧国幣中社  若狭国遠敷郡の式内社・若狹比古神社二座(名神大)

〔御祭神〕  若狭彦神社(上社)  彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
        若狭姫神社(下社)  豊玉姫命(とよたまひめのみこと)

〔由緒〕 若狭彦神社は、若狭彦神社(上社)と若狭姫神社(下社)の二社からなる。 共に遠敷川の左岸、上流に上社が、下流に下社が鎮座する。 両社の社殿配置は同一で、共に巨樹・古木の鬱蒼と茂る中に本殿が静かに鎮座し、神さびた風情を漂わせている。
 社伝によると、上社の創建は霊亀元年(七一五)、下社は養老五年(七二一)であり、下社は上社より分祀されたとも伝える。 近隣では遠敷明神と呼ばれて親しまれ、また朝廷や武家からの崇敬も篤かった。 明治四年に両社は共に国幣中社に列格したが、のちに若狭彦神社へ包括された。
 祭神が降臨したという鵜の瀬は、奈良県の東大寺二月堂の若狭井に通じているとされ、上流一五〇mの対岸に創祀の社と伝える白石神社がある。 二月堂の右裏手には遠敷明神を祀る遠敷神社が鎮座している。
-『全国一の宮めぐり』から-


若狭彦神社(上社) 本殿・神門・瑞垣


由緒記
名称  若狭国一宮  若狭彦神社上社
      又、下社と併せて若狭彦神社とも、上下宮ともたたえまつる   延喜式名神大社
祭神  若狭彦大神
      海幸山幸の神話で名高い彦火火出見尊を若狭彦大神とたたえて奉祀する
所在地  福井県若狭国遠敷郡遠敷村龍前  昭和二十六年、町村合併により小浜市龍前となる
創建  奈良時代霊亀元年乙卯九月十日  昭和五十八年より一千二百六十八年前
祭日  上社 十月十日    下社 三月十日
-若狭彦神社案内板から-



若狭彦神社(上社) 本殿










若狭彦神社(上社) 本殿
本殿は文化十年(1813)造営の三間社流造、檜皮葺、素木造。内削の千木、10本の堅魚木。
中門は切妻造平入、檜皮葺の四脚門で、天保元年(1830)の建立。 (福井県有形文化財指定)



末社  若宮神社

祭神  鸕鷀草葺不合尊 (うがやふきあえずのみこと)
例祭  十月十日
「神名の由来」
 当上社御祭神の大后豊玉姫命(下社御祭神)が安産を祈り、霊鳥といわれる鵜の羽を草として特別に産屋を建てたが、まだ屋根の葺きおえないうちに御子神をお生みになったので、御子神を「ウガヤフキアエズノミコト」と尊称したのである。
相殿神  蟻通神 (ありとうしのかみ) (知恵の神様)   例祭 九月二日
       大山祇神 (おおやまつみのかみ) (山を司る神様)   例祭 三月六日
-境内案内板から-



神木  夫婦杉 (めおとすぎ)

   上社境内楼門(随神門)前にある。 二本が根本においてぴったり
   密着しておる。
   夫の木  目通三・五米。 樹高四〇米。
   婦の木  目通三米。 樹高三〇米。
-若狭彦神社パンフレットから-



随神門


随神門 (ずいしんもん)
随神門は十八世紀末の造営と推定され、桁行三間梁間二間の八脚門で床高の随神座を持つ。
随神は四軀ずつ左右対称して安置されている。
随神(ずいしん)は、上社及び下社の楼門に八柱づつ安置してある。 鎌倉時代の作。 全国唯一独特の様式で、極めて貴重な存在である。 若狭彦神、若狭姫神がこの地にご鎮座になったとき、お供をした眷族(けんぞく)(郎党)の方々である。         -若狭彦神社パンフレットから-



若狭彦大明神の御神託

        みな人の  直き心ぞ  そのまゝに
                  神の  神にて  神の  神なり

この御歌は、宇多帝の御子敦実親王に、夢中に告げ給ひしとなり。 四神の御歌と云ふ、是なり。
                                           後鳥羽院勅撰 『和論語』





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