2011年04月23日
若狭国一宮 若狭彦神社(2)
若狭国一宮 若狭姫神社 (下社)
若狭国一宮 若狭姫神社(わかさひめじんじゃ) 通称 遠敷明神(おにゅうみょうじん)
〔鎮座地〕 福井県小浜市遠敷65-41
〔社格〕 旧国幣中社 若狭国遠敷郡の式内社・若狹比古神社二座(名神大)
〔御祭神〕 豊玉姫命 (とよたまひめのみこと) (若狭姫大神)
〔御神徳〕 御神徳は広大無辺にして、古来、皇室の御崇敬をはじめ、庶民一般の信仰が篤いが、就中農業、漁業、安産育児、また、畳、敷物商工業の守護神としての信仰が深い。
奈良二月堂のお水取りは名高い行事であるが、このお水取りは、東大寺の実忠和尚と遠敷明神との神約にもとづくものであって、この遠敷明神は、遠敷神社、即ち、若狭姫神社の祭神若狭姫神-豊玉姫命である。 東大寺には、二月堂の右手裏に遠敷神社が奉祀してある。
-若狭彦神社パンフレットから-
由緒記
名称 若狭国一宮 若狭彦神社下社又、若狭姫神社、遠敷神社とも称し、上社と併せて若狭彦神社とも、上下宮ともたたえまつる
延喜式名神大社
祭神 若狭姫大神 (豊玉姫命)
龍宮伝説で名高い豊玉姫命を若狭姫大神とたたえて奉祀する
所在地 福井県若狭国遠敷郡遠敷村遠敷
昭和二十六年、町村合併により小浜市遠敷となる
創建 奈良時代養老五年辛酉二月十日 昭和五十八年より一千二百六十二年前
祭日 下社 三月十日 上社 十月十日
-若狭姫神社案内板から-
若狭姫神社 (下社) 本殿・神門・瑞垣
本殿、神門、楼門及び社叢
福井県有形文化財に指定
本殿は享和二年(1802)建立の三間社流造。
神門は享和三年(1803)造営の切妻造平入、檜皮葺の八脚門。
社叢は、社殿裏山に広がり、若狭地方を代表する暖地性広葉樹林であり、
建物とみごとに調和、太古からの荘厳な様相をよくとどめている。
福井県有形文化財に指定
本殿は享和二年(1802)建立の三間社流造。
神門は享和三年(1803)造営の切妻造平入、檜皮葺の八脚門。
社叢は、社殿裏山に広がり、若狭地方を代表する暖地性広葉樹林であり、
建物とみごとに調和、太古からの荘厳な様相をよくとどめている。
-若狭彦神社パンフレットから-
若狭姫神社 (下社) 本殿
本殿は享和二年(1802)建立の三間社流造。 向拝一間、檜皮葺、素木造で、本殿を囲む透塀がある。
福井県有形文化財指定
随神門 (ずいしんもん)
随神門は入母屋造平入、檜皮葺で寛保三年(1743)の造立。 上社と同じく随神八軀を安置する。随神像は鎌倉時代の作。 全国唯一独特の様式で、極めて貴重な存在である。 若狭彦神、若狭姫神がこの地にご鎮座になったとき、お供をした眷族(けんぞく)(郎党)の方々である。
-若狭彦神社パンフレットから-
〔左〕 摂社・中宮神社
祭神 玉依姫命
当社祭神豊玉姫命の妹を祀る
〔右〕 末社・日枝神社(山王さま)
祭神 大山咋神 (山の神)
相殿の神 夢彦神・夢姫神・宗像神・愛宕神・琴平神・稲荷神
〔左〕 末社・玉守神社
祭神 玉守神 上社祭神彦火火出見尊の潮満珠・潮涸珠の守護神
〔右〕 子種石(こだねいし)
古来、この素朴な陰陽石(いんようせき)に祈れば霊験いやちこ、子宝に恵まれると伝え、又、女性に恋と安産を授けます。
神木 千年杉
下社瑞垣内にある。
目通六米。 樹高四〇米。
遠敷の千年杉として名高い。
秀麗この上なく、
古来、不老長寿の象徴として篤く信仰される。
下社瑞垣内にある。
目通六米。 樹高四〇米。
遠敷の千年杉として名高い。
秀麗この上なく、
古来、不老長寿の象徴として篤く信仰される。
-若狭彦神社パンフレットから-
玉造る 若狭の国の 国なかに
神代の神を をかむけふ哉
とこしへに 竝ひています わかさ彦
わかさ姫こそ うらやましけれ
明治四十二年六月二十四日参拝 民俗学者 柳田国男先生詠
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