2011年04月29日

第52番 太山寺


四国八十八カ所 第52番札所 太山寺




瀧雲山 護持院 太山寺 (たいさんじ)

〔所在地〕 愛媛県松山市太山寺町1730

〔宗派〕 真言宗智山派

〔本尊〕 十一面観世音菩薩

〔開基〕 真野長者

〔真言〕 おん まか きゃろにきゃ そわか

〔略縁起〕 当山の創建者は、豊後国の真野長者。 用明2年(586)、長者が高浜沖で嵐にあった。 一心に観世音菩薩に祈ると、五彩の光明がさして嵐がおさまり、一命を助けられたという。 長者はそのお礼として、瀧雲山に用材を運び込み、一夜のうちに本堂を建立した。 のちに聖武天皇の勅願により、行基が十一面観世音菩薩と四天王像を刻んで安置。 天長年間(824~834)には大師が胡摩ヶ森で護摩を修法して、四国霊場と定めた。
-『四国八十八カ所』から-



             国宝の本堂                       本堂内部外陣










国宝 太山寺 本堂 (鎌倉時代の建立)
 本堂の建物は、昭和27(1952)年の解体修理によって、嘉元3(1305)年の再建と判断されたが、内陣の床下からは焼土が発見され、その以前に火災によって焼け落ちた事実も判明した。 当時、架構の面で五間堂から格段の発展を遂げた七間堂が出現するが、その全国的にも稀少な遺構の一つで、桁行(正面)7間、梁間9間、一重、入母屋造、二軒(ふたのき)、本瓦葺である。 その9間梁行に大きく妻壁を置いての入母屋造は雄大な屋根の広がりを見せ、密教本堂としては全国屈指の規模を誇る。 柱・梁などの木組みは大きく、豪放な規模を持つとともに、和様を基本にしながら、虹梁とその挿肘木には大仏様(だいぶつよう)の手法が併用されるなど、折衷様(せっちゅうよう)としての表現力にも優れている。 またこの頃になって初めて現れた「六枝掛(ろくしがけ)」という、斗きょうと垂木(たるき)の割り付けから柱間隔が決められてゆく技法も明らかに認められる。さらにその内陣が土壇となっているのは、当時の密教本堂としては珍しく、正面柱間の中備(なかぞなえ)に置かれた蟇股(かえるまた)は、鎌倉時代の力強い作風を示す代表作と評価されている。
-『松山市ホームページ』から-



        大師堂          仁王門(国の重要文化財)      三の門 (四天王門)



        鐘楼堂                稲荷堂               聖徳太子堂





          太山に 登れば汗の 出でけれど
                         後の世思えば 何の苦もなし




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