2011年04月30日

第53番 圓明寺


四国八十八カ所 第53番札所 圓明寺




須賀山 正智院 圓明寺 (えんみょうじ)

〔所在地〕 愛媛県松山市和気町1-182

〔宗派〕 真言宗智山派

〔本尊〕 阿弥陀如来

〔開基〕 行基菩薩

〔真言〕 おん あみりた ていぜい からうん

〔略縁起〕 天平勝宝元年(749)、聖武天皇の勅命により、行基が本尊の阿弥陀如来像と脇侍の観世音菩薩、勢至菩薩を彫って安置し、伽藍を備えたのが始まり。 当時は、和気浜の西山という海岸にあり、海岸山圓明密寺と称した。 のちに大師が、荒廃した諸堂を整備し、四国霊場として定めた。 たび重なる兵火で衰微し、元和元年(1615)に須賀重久によって現在の地に移され、寛永13年(1636)には寺号も改められた。
-『四国八十八カ所』から-



              本堂                           大師堂













〔左〕 キリシタン灯ろう (十字架形灯ろう)
高さ40cm。合掌するマリア観音とおぼしき像が刻まれ、隠れキリシタンの信仰に使われたとの説もある。

〔右〕 銅板の納札
 大正十三年三月、アメリカのシカゴ大学教授スタール博士は、四国八十八ヵ所を巡拝するが、圓明寺の本尊厨子に打ちつけてあった銅板の納札(縦24cm、幅9.7cm、厚さ約1mm)を見て高く評価し、世に紹介せられた。 この納札は慶安三年(1650)、京都の住人家次が巡拝中打ちつけたもので、「遍路」の文字が記された最古の納札であり、遍路の歴史を知る上で貴重な資料といえる。
 以来、圓明寺は納札のある寺として知れわたり、スタール博士は「お札博士」といわれた。



         中門                 観音堂              市杵島明神





          来迎の 弥陀の光の 圓明寺
                          照りそふ影は 夜な夜なの月




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