2011年05月13日

越前国一宮 氣比神宮


北陸道総鎮守 越前国一之宮 氣比神宮





越前国一宮 氣比神宮 (けひじんぐう)    通称 けえさん

〔鎮座地〕 福井県敦賀市曙町11-68

〔社格〕 旧官幣大社  越前国敦賀郡の式内社・氣比神社七座 (並名神大)

〔御祭神〕  伊奢沙別命 (いささわけのみこと)
        仲哀天皇 (ちゅうあいてんのう)
        神功皇后 (じんぐうこうごう)
        應神天皇 (おうじんてんのう)
        武内宿禰命 (たけのうちすくねのみこと)
        日本武尊 (やまとたけるのみこと)
        玉妃命 (たまひめのみこと)

〔由緒〕 当社は北陸道から京都へ向かう交通の要衝にあり、眼前には敦賀湾が広がり、大陸との交易も行われてきた古来重要な地に鎮座し、北陸道総鎮守の社である。 産業発展また海上の守護神として崇敬された。
 古くから神威は朝廷にも及んでおり、度々奉幣の記録が残り、『延喜式』には「氣比神社」とあり、祭神七座とも名神大社として記載がある。 神宮寺も早くから成立し、共に隆盛を極めた。
 しかし戦乱の世に入り、国主の朝倉氏と共に織田信長の北陸進出を拒んだため、社殿僧坊とも灰燼に帰した。 江戸時代に入り慶長十九年(一六一四)、福井藩祖結城秀康公により社殿造営、百石の社領を寄進された。 明治二十八年には神宮号宣下により社名を氣比神宮と改め、同時に官幣大社に列格した。 本殿は旧国宝であったが昭和二十年戦災により他の建造物と共に焼失、昭和二十五年に本殿が再建、諸建物も昭和三十七年に復興された。
-『全国一の宮めぐり』から-


           中鳥居と拝殿                         拝殿












         拝殿内部本殿を望む                       本殿












             大鳥居                           扁額


大鳥居 (重要文化財)
 高さ三十六尺柱門二十四尺、木造両部型本朱漆、寛永年間旧神領地佐度国鳥居ヶ原から伐採奉納した榁樹(むろのき)で、正保二年建立した。 明治三十四年国宝に指定され、現在は国の重要文化財である。 正面の扁額は有栖川宮威仁親王の御染筆である。
-氣比神宮パンフレットから-


九社之宮

〔左〕 摂社・伊佐々別神社(いささわけ)
〔祭神〕 御食津大神荒魂神

〔右〕 末社・擬領神社(おほみやつこ)
〔祭神〕 武功狭日命
 一説に大美屋都古神又は玉佐々良彦命とも云う


〔左〕 摂社・天伊弉奈彦神社
〔式内社〕越前国敦賀郡・伊佐奈彦神社
〔祭神〕 天伊弉奈彦大神

〔右〕 摂社・天伊弉奈姫神社
〔式内社〕越前国敦賀郡・天比女若御子神社
〔祭神〕 天比女若御子大神



〔左〕 摂社・天利劔神社(あめのとつるぎ)
〔式内社〕 越前国敦賀郡・天利劔神社
〔祭神〕 天利劔大神

〔右〕 末社・鏡神社(かがみの)
〔祭神〕 神功皇后奉宝鏡



〔左〕 末社・林神社(はやしの)
〔祭神〕 林山姫神(はやまひめのかみ)

〔右〕 末社・金神社(かねの)
〔祭神〕 素盞嗚尊(すさのをのみこと)





   末社・劔神社(つるぎ)
   〔祭神〕 姫太神尊(ひめおほかみのみこと)






境内神社


摂社・角鹿神社 (つぬが)
〔式内社〕 越前国敦賀郡・角鹿神社
〔祭神〕 都怒我阿羅斯等命(つぬがあらしとのみこと)
〔合祀〕 松尾大神
 崇神天皇の御代、任那の王子の都怒我阿羅斯等氣比の浦に上陸し貢物を奉る。 天皇氣比大神宮の司祭と当国の政治を委せらる。 その政所の跡に此の命を祀ったのが当神社で現在の地名はもと「角鹿(つぬが)」でこの命の御名に因る。 殿内に宝物獅子頭を安置す。 除災招福の信仰が篤い。 天保十年松尾大神を合祀、酒造家の信仰が篤い。


末社・大神下前神社 (おおみわしもさき)
〔式内社〕 越前国敦賀郡・大神下前神社
〔祭神〕 大己貴命(おほなむちのみこと)
〔合祀〕 稲荷神社・金刀比羅神社
 氣比大神四守護神の一つとしてもと天筒山麓に鎮座されていたのを明治年間現在の地に移転、稲荷神社と金刀比羅神社を合祀し、特に海運業者の信仰が篤い。



末社・児宮 (このみや)
〔祭神〕 伊弉册尊
 徳川時代から子育ての神と称され小児の守り神として信仰が篤い。




末社・猿田彦神社
〔祭神〕 猿田彦大神
 氣比大神の案内をされる神といふので表参道北側にある。
 一般に庚申様と唱へて信仰が篤い。




末社・神明両宮
〔祭神〕 天照皇大神(内宮)・豊受大神(外宮)
 外宮は慶長十七年三月二十八日、内宮は元和元年九月二十八日それぞれ勧請奉祀されたものである。
-氣比神宮パンフレットから-



氣比宮古殿地遥拝所


氣比宮古殿地の事
  氣比神宮境内東北部に位置し当神宮鎮座にかかる聖地として古来より「触れるべからず 畏み尊ぶべし」と社家文書に云い伝えられているが 嘗て天筒山の嶺に霊跡を垂れ更に神籬磐境の形態を留める現「土公」は氣比之大神降臨の地であり 傳教大師・弘法大師がここに祭壇を設け七日七夜の大業を修した所とも伝えられる
  土公は陰陽道の土公神の異称で 春は竈に夏は門に秋は井戸に冬は庭にありとされ 其の期間は其所の普請等を忌む習慣があったが此の土砂を其の地に播けば悪しき神の祟りなしと深く信仰されていた 戦後境内地が都市計画法に基づき学校用地として譲渡の已む無きに至ったが土公と参道はかろうじてそのままの形で残された 大宝二年(七〇二)造営以前の氣比宮は此の土公の地に鎮座され祭祀が営まれていた 此の聖域を通して氣比之大神の宏大無辺の御神徳を戴くことが出来るよう此のたび篤信者の奉賛により遙拝設備が立派に完成されるに至った次第である
-境内石碑から-




松尾芭蕉の銅像・句碑
 松尾芭蕉は 「おくのほそ道」 の旅の途中に、ここ敦賀に訪れ、氣比神宮にも立ち寄り、句を詠みました。

        月清し   遊行の
                持てる   砂の上
                                     ばせを




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