2011年10月14日

御礼参り 高野山



南無大師遍照金剛




高野山

 弘法大師と同行二人で巡った四国八十八ヶ所のお遍路。 その旅は高野山への参拝で締めくくりとなる。 弘法大師が入定し、今なお人々の救済を祈り続けているとされる高野山。 杉の老木が立ち並ぶ参道を抜けて奥の院へ。 霊気漂う聖域の再奥で、お遍路の長い道のりは「満願成就」を迎える。
 この地に弘法大師が高野山を開いたのは弘仁7年(816)。 嵯峨天皇の勅許を得て開かれて以来、真言密教の聖地として現在に至っている。 1000m級の八つの山々に囲まれ、諸堂が軒を連ねる様相は「蓮の花が開いたよう」と形容され、「八葉の峰」とも呼ばれている。 ここに金剛峯寺を総本山として、117ヶ寺の壮大な伽藍が広がる。 2004年にはユネスコの世界文化遺産に登録された。


      吽形像                   大門                    阿形像


大門   -重要文化財-
 高野山の入り口にそびえ建つ仁王門。 高野山一山の総門。 旧表参道に建ち、高さ41.8mという威風堂々たる重層建築(桁行十間・梁間四間)の楼門。 現在の建物は宝永2年(1705)に建てられたもので、晴天の日はここから遠く淡路島が展望できる。 両脇の金剛力士像は江戸時代の仏師康意(阿形像)、法橋運長(吽形像)によるもの。


壇上伽藍
 高野山開創の折にまず諸堂が建立された所、真言密教修行の根本道場である。 現在は、根本大塔、金堂、西塔、東塔、御社、山王院、御影堂、准胝堂、孔雀堂、愛染堂、三昧堂、大塔の鐘、大会堂、不動堂、六角経蔵などが建立されており、奥の院とともに高野山の二大聖地である。



根本大塔

 弘法大師が高野山を開創され、一番最初に着手されたのが、この根本大塔である。 高さ48.5メートルの現在の大塔は、昭和12年(1937)に完成したもので、高野山の、いや真言密教のシンボルである。




金堂
 高野山一山の総本堂で、弘法大師により弘仁10年(819)に創建されたが、再三火災に遭い、現在の堂宇は昭和7年(1932)に建立された鉄筋コンクリート造りである。 高野山の主な恒例法会はここで執り行われる。 本尊は高村光雲作の阿閦如来(薬師如来)、内部の壁画は木村武山画伯の筆による。


御影堂
 弘法大師御在住中は僧房であったと伝えられる建造物である。 現在の建物は弘化4年(1847)に再建されたもので、真如親王の御筆による大師御影を奉安している。 宝形造りのゆるやかな桧皮葺の屋根は大師御住房に相応しい落着きを見せている。 御影堂の前には、大師が中国から投げた三鈷が引っ掛かっていたと伝わる伝説の「三鈷の松」が植えられている。



大塔の鐘 (高野四郎)
 弘法大師発願により真然大徳が完成させた。 火災により三度改鋳されているが、現在の銅鐘は天保16年(1547)に鋳造。 鐘楼は昭和34年(1959)に竣工。 「高野四郎」と呼ばれ毎日五回、山内に時を知らせる。




不動堂   -国宝-
 鳥羽上皇の皇女八条女院の発願により建久9年(1198)に行勝上人により一心院谷に建立され、明治43年(1910)に現在の場所に移された。 平安朝の上流住宅様式をもつ伽藍最古の建築として有名。 本尊は木造・不動明王像、脇士の八大童子像は運慶の作。



重要文化財    御社と山王院    指定 昭和40年5月29日
 壇上の西端にあり、三社が並列する。 右から丹生明神、高野明神、十二王子・百二十伴神をまつる。 弘法大師は高野山開創にあたり、仏教の諸尊と日本在来の神祇との融和に意を用いられ、高野山の地主神として丹生明神と高野明神(狩場明神)を勧請された。 その本社は山麓天野にある。 大師以後今日に至るまで山内の住侶はこの両明神を篤く崇敬してきた。 文禄3年(1594)再建。 御社の前の拝殿を山王院という。 ここで毎年きまった日に竪精や月並問講などの儀式を行う。 山内住侶の重要な宗教的行事である。 
   和歌山県教育委員会・総本山金剛峯寺               -壇上伽藍案内板から-











御社 (みやしろ)   -重要文化財-
 高野山の地主神・丹生都比売明神と狩場明神を大師がこの地に勧請されたものである。 建物は大永2年(1523)の再建。
第一の宮  丹生都比賣命  気比明神
第二の宮  高野明神(狩場明神)  厳島明神
第三の宮  十二王子  百二十伴神
 御大師様は黒白二匹の犬を連れる一人の狩人に身を変えられた高野明神に導かれて高野山麓の天野に至り丹生明神より高野山の地を与えられたと云われ丹生・高野の両大明神は高野山の地主神である。                                     -御社案内板から-


山王院
 地主山王を拝する場所として藤原時代に建てられた。 現在の建物は文禄3年(1594)に再建。 毎月十六日には山内の僧侶による「法楽論議」が営まれる。






東塔
 大治2年(1127)、白川院の御願により醍醐三宝院勝覚権僧正の創建。 天保14年(1843)に焼失し、昭和59年(1984)に再建された。





大会堂
 鳥羽上皇の皇女五辻斎院頌子親王が父帝追福のために蓮華乗院に建立されたが、西行によって現在の地に移された。 現在の建物は嘉永元年(1848)再建。 本尊は丈六の阿弥陀如来、脇仏は観音・勢至菩薩。




三昧堂
 済高座主が延長6年(928)頃に建立。 別の場所にあったのを西行法師がここに移したとされる。 堂前には「西行手植の桜」がある。 現在の建物は文化13年(1816)の再建。






愛染堂
 建武元年(1334)後醍醐天皇の綸旨により建立。 現在の建物は嘉永元年(1848)の再建による。 本尊は後醍醐天皇等身大の愛染明王を安置。






六角経蔵 (荒川経蔵)
 鳥羽上皇妃の美福門院が浄書した紺紙金泥一切経を納めるために建立。 現在の建物は昭和8年(1933)に再建された。





西塔
 真然大徳が光孝天皇の勅により仁和3年(887)に、大師の認めた「御図記」に従って建立。 現在の建物は天保5年(1834)の再建。 本尊は金剛界大日(重文)と胎蔵四仏である。






准胝堂
 光孝天皇の御願により真然僧正の建立。 現在の建物は明治16年(1883)に再建。 本尊の准胝観世音像は大師自らの彫刻と伝えられる。





孔雀堂
 後鳥羽法皇御願による請雨成就により正治2年(1200)に建立された。 現在の建物は昭和58年(1983)に再建。 本尊の孔雀明王像(重文)は仏師快慶作。






大師教会本部大講堂
 大正14年(1925)高野山開創千百年記念として建立。 本尊は弘法大師。 御詠歌や宗教舞踊などの大会や諸行事が開催される。






総本山金剛峯寺



 「金剛峯寺」の寺号は弘法大師が名付けたもので、元来は高野山全体を指す総称であった。 現在は高野山真言宗の総本山の名称となっている。
 文禄2年(1593)に豊臣秀吉が亡母追善のために建立した青巌寺と、応其上人の建てた興山寺を合併し、明治2年(1869)に金剛峯寺と改称した。 以後、高野山真言宗の管長が住むこの総本山寺院のことを「金剛峯寺」と称している。 高野山のすべての土地は金剛峯寺の所有で、高野山真言宗の一切の宗務を司る宗務所がおかれている。




金剛峯寺主殿
 現在の建物は文久3年(1863)に再興されたもので、東西35間の大建築である。 柳の間は豊臣秀次自刃の間として有名。






奥の院



 弘法大師御入定の浄域。 弘法大師の御廟があり、弘法信仰の中心聖地である。
 一之橋を渡ると霊気はいよいよ身に迫るようである。 亭々とそびえる老杉の間をぬって一筋の石畳の参道が大師の御廟に通じる。 十八町(約二千メートル)の参道の両側には諸国諸大名をはじめあらゆる人々の墓碑や供養塔が二十万基以上も立ち並び、宗派を越えた天下の総菩提所として日本の歴史を如実に物語っている。


         老杉の間の石畳参道                  中之橋付近の参道











                    江姫の墓所 (崇源夫人五輪石塔)











江姫の墓所 (崇源夫人五輪石塔)  -県指定史跡-
 この供養塔は、駿河大納言忠長が慈母崇源院(江姫)の追善供養のため、1627年(寛永4年)に建立したものです。 奥の院墓石群の中でも最も大きい(高さ6.6m、台石は八畳敷)ことから「一番石」の名で広く知られています。
 江姫は、浅井長政とお市の方の末娘で、豊臣秀吉の側室淀君の妹にあたります。 徳川二代将軍秀忠の正室として、戦国時代から江戸時代にかけ波乱万丈の人生を送り、1626年(寛永3年)享年54歳でこの世を去りました。
 平成23年NHK大河ドラマ「江」、ヒロイン江姫供養塔。      -高野町 菩提所 蓮花院-



御廟橋


御廟橋
 玉川の清流に架かる御廟橋。 この橋からいよいよ霊域に入る。 無明の橋ともいわれ、板石は三十六枚で橋全体を一尊として金剛界三十七尊を表わしている。 奥に見えるのが灯籠堂で、そのさらに奥が弘法大師御廟。 御廟は大師信仰の中心聖地である。 承和二年(835)三月二十一日大師御入定の後、かねて大師自ら選定あそばされていた地に定窟を築き、その上に三間四面の宝形造りの廟が建立されている。 御廟橋の先は浄域。 ここに立つと、えも言われぬ高揚感とともに、粛々とした心の平静を感じる。 身と心を整え、合掌礼拝して御廟に参拝した。



          ありがたや 高野の山の 岩かげに
                      大師はいまだ おわしますなる


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