2011年12月29日

熊野三山 熊野那智大社


根本熊野三所権現 熊野那智大社




熊野三山 熊野那智大社 (くまのなちたいしゃ)

〔鎮座地〕 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1

〔社格〕 旧官幣中社

〔御祭神〕 第一殿  滝宮  大己貴命 (大国主神)
       第二殿  証誠殿  家都御子神 (素盞嗚尊)
       第三殿  中御前  御子速玉神 (伊弉諾尊)
       第四殿  西御前  熊野夫須美神 (伊弉冉尊)
       第五殿  若宮  天照大神
       第六殿  八社殿  天神地祇八神
       御縣彦社  建角見命 (八咫烏)


熊野那智大社拝殿



〔御由緒〕 紀伊半島の東南を古来熊野という。 熊野とは奥深い処、隈るとも申しそこは神秘性のある所、即ち神々の住まえる所であり、あこがれの土地として尊んだ処である。 往古神武天皇が御東征の折、この地に上陸され、那智の滝に大己貴神を祀り八咫烏の案内で山々を越えて大和に入られたのであります。
 仁徳天皇5年那智の滝より社殿をこの地に移し、夫須美大神を祀られたのが「熊野那智大社」の起こりです。 後に仏教、修験道の隆盛と共に熊野権現として崇められ上皇、女院、武将や庶民の参拝が増し継続して詣でる様子を「蟻の熊野詣」と称しました。
 御社殿は熊野造と申し、現在の建物は豊臣の世に再興し享保、嘉永の大改修を経て昭和10年の御修覆で、平成7年国指定文化財となっています。 社前には後白河上皇御手植と伝える枝垂桜や平重盛の手植と申す大楠、八咫烏にまつはる烏石等があります。
 新宮市の熊野速玉大社・本宮市の熊野本宮大社と共に熊野三山の一社で、全国約4千社と云われる熊野神社の御本社でもあり、日本第一大霊験所根本熊野三所権現として崇敬の厚い社であります。
 又、近くには南紀勝浦温泉があり、黒潮洗う太平洋を眼下にする御社域は吉野熊野国立公園特別地域です。
-熊野那智大社パンフレットから-




重要文化財・世界遺産  熊野那智大社社殿

      左から若宮・西御前                左から中御前・証誠殿・滝宮        










          修復中の八社殿                    修復中の御縣彦社











   熊野那智大社社殿 八棟
   重要文化財  平成七年十二月二十六日
   世界遺産  平成十六年七月一日
   指定理由  歴史的価値の高いもの

第一殿 瀧宮
第二殿 証誠殿
第三殿 中御前
第四殿 西御前
第五殿 若宮
第六殿 八社殿
御縣彦社
鈴門・瑞垣

 熊野那智大社は熊野三山の一つに数えられ中世以降は日本第一大霊験所・根本熊野三所権現として全国的に信仰された古社である。
 社殿は東西横一列に配された第一殿から第五殿と、第五殿の正南方に並ぶ第六殿・御縣彦社からなる。 各社殿は瑞垣で仕切られており、各社殿の正面には鈴門が開かれている。
 第一殿から第六殿が嘉永四年から七年(一八五四)の建立、御縣彦社は慶応三年(一八六七)の建立である。
 社殿はその規模が大きく良質で彫刻をほとんど用いない等、配置や形式に特徴があり、全国の神社建築に影響を与えた熊野三山の社殿形式を伝えるものとして、我が国の神社建築史上貴重である。
 鈴門及び瑞垣は境内の景観を構成する上で重要である。
    文化庁
    熊野那智大社
    和歌山県教育委員会
-熊野那智大社案内板から-




別宮 飛瀧神社












那智の瀧 「飛瀧神社」 案内   世界遺産
 那智のお瀧は那智の奥山から湧き出でている清い川水で断崖にかかり落差一三三米の瀧で日本一の名瀑と云われています。
 神倭磐余彦命がこの御瀧を大己貴命の御霊代とし祀り後に飛瀧権現と称え今では熊野那智大社の別宮で飛瀧神社と申します。
 修験道では瀧修行場として最高の霊場とし文覚上人の荒行などで有名であります。
 お瀧水は古来「生命の母」と崇め延命長寿の霊水とする信仰が伝えられています。
 この那智の瀧付近は「世界遺産」であり吉野熊野国立公園特別地域・国指定名勝・那智原始林は天然記念物でもあります。
     熊野那智大社 別宮 飛瀧神社
-飛瀧神社案内板から-




那智山 青岸渡寺 (せいがんとじ)












西国霊場 第一番札所 天台宗 那智山 青岸渡寺

補陀洛や 岸打つ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬

 当山は仁徳帝の頃(三一三~三九九)印度より裸形上人が熊野の浦に漂着、現在の堂の地に庵を結んだのに始まると伝えられている。 その後、推古帝(五九三~六二八)の時大和より生仏上人が来山し、玉椿の大木をもって、現在の本尊(御大約四米)を彫り、裸形上人感得の観世音菩薩を胸仏として納め安置す。 のち推古帝の勅願寺となり、那智霊場の中心として熊野信仰を育んできた。 従って御本尊如意輪観世音菩薩の霊験を受けんとして、日夜礼拝修行する者その数を知らず、又天皇上皇の尊崇も深く、殊に平安時代、人皇六十五代花山上皇が滝の上の山中に庵を造り、三ヶ年御修行の後、当山より西国三十三ヶ所観音霊場巡拝の旅に出られた。 当時より長きに亘り巡拝の寺として親しまれている。 当山は古くより那智山如意輪堂と称していたが明治の神仏分離によってその形態が変わり以来青岸渡寺と称するようになった。 現在の建物は天正十八年、豊臣秀吉公が、発願再建されたもので、桃山時代様式の建物として南紀唯一の重要文化財である。
-青岸渡寺案内板から抜粋-




烏牛王神符 (那智)



烏牛王について
俗におからすさん、又は千羽烏とも申して居るこの神符は、熊野詣の人々がその参詣の印として受け帰り、家々の神棚や入り口、蔵の中などに奉斎するものであります。
古来、有名な那智のお滝の秘所の霊水を以て正月二日の未明に神秘行事を攸して摺上げ宮中に二千枚を献じたのでありますが、尚今もこれを伝えて居ります。 悪魔退散、結(むすび)と熊野権現の信仰を今日尚伝えて居るものの一つであります。 古書にもこの牛王の数々霊験が伝わり、中でも起請文に用いられたことは余りにも有名でありまして、全国にこの信仰が強く残って居ります。 これは信仰が現実の生活に結びついた最も顕著な例でありましょう。
   紀伊国那智山
      熊野那智大社宮司識
-烏牛王説明文から-



熊野那智大社の烏牛王は、72羽の烏と15個の宝珠で画かれている。
読み方について、社務所の神官さんに聞いてみると、
〔右〕    那 (な) ・ 智 (ち)
〔中〕        (不明)
〔左〕    瀧 (たき) ・ 璽(じ)又は寳(たから)
昔からのことなので、判らないこともあるそうです。

閑人の読み方は、
〔右〕    那 (な) ・ 智 (ち)
〔中〕    璽 (みしるし)
〔左〕    瀧 (たき) ・ 寳 (たから)
と自己流に解釈してみました。




〔後記〕
熊野三山を巡ってみると謎ばかり。

① 「本宮大社」の御祭神(垂迹神)は、第九殿以下が「速玉大社」・「那智大社」とは異なるのは何故か?

② 「本宮大社」の「証誠殿」の千木は、何故、内削ぎなのか?
 「速玉大社」・「那智大社」の「証誠殿」は、外削ぎである。

③ 「速玉大社」の「奥御前三神殿」は、何故、あの様に隠されて祀られているのか?

④ 「速玉大社」の「上三殿」に、熊野十二所権現以外の「高倉宮」があるのは何故か?

⑤ 「那智大社」の「滝宮・大己貴命」は、どうして熊野十二所権現には含まれないのであろうか?
 主神の熊野夫須美大神(伊弉冉尊)と同じ本地仏「千手観音」なのは何故か?

⑥ 「熊野大神」とは?




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