2012年01月07日
第1番 青岸渡寺
西国三十三ヶ所 第1番札所 青岸渡寺
那智山 (なちさん) 青岸渡寺 (せいがんとじ)
〔所在地〕 (紀伊國) 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8番地
〔宗派〕 天台宗
〔開基〕 裸形上人 (らぎょうしょうにん)
〔創建〕 仁徳天皇御代 (313~399)
〔御本尊〕 如意輪観世音菩薩
〔真言〕 おん ばらだ はん どめい うん
青岸渡寺本堂 (如意輪堂) 山門 (仁王門)
〔略縁起〕 当山は仁徳帝の頃(三一三~三九九)印度より裸形上人が熊野の浦に漂着、現在の堂の地に庵を結んだのに始まると伝えられている。 その後、推古帝(五九三~六二八)の時大和より生仏上人が来山し、玉椿の大木をもって、現在の本尊(御大約四米)を彫り、裸形上人感得の観世音菩薩を胸仏として納め安置す。 のち推古帝の勅願寺となり、那智霊場の中心として熊野信仰を育んできた。 従って御本尊如意輪観世音菩薩の霊験を受けんとして、日夜礼拝修行する者その数を知らず、又天皇上皇の尊崇も深く、殊に平安時代、人皇六十五代花山上皇が滝の上の山中に庵を造り、三ヶ年御修行の後、当山より西国三十三ヶ所観音霊場巡拝の旅に出られた。 当時より長きに亘り巡拝の寺として親しまれている。 当山は古くより那智山如意輪堂と称していたが明治の神仏分離によってその形態が変わり以来青岸渡寺と称するようになった。 現在の建物は天正十八年、豊臣秀吉公が、発願再建されたもので、桃山時代様式の建物として南紀唯一の重要文化財である。
-青岸渡寺案内板から抜粋-
宝篋印塔(重要文化財) 那智大黒天 梵鐘(鎌倉時代)
熊野那智大社拝殿
熊野那智大社
仁徳天皇5年那智の滝より社殿をこの地に移し、夫須美大神を祀られたのが「熊野那智大社」の起こりです。 後に仏教、修験道の隆盛と共に熊野権現として崇められ上皇、女院、武将や庶民の参拝が増し継続して詣でる様子を「蟻の熊野詣」と称しました。御社殿は熊野造と申し、現在の建物は豊臣の世に再興し享保、嘉永の大改修を経て昭和10年の御修覆で、平成7年国指定文化財となっています。 社前には後白河上皇御手植と伝える枝垂桜や平重盛の手植と申す大楠、八咫烏にまつはる烏石等があります。
那智の瀧 飛瀧神社
那智の瀧 飛瀧神社
那智のお瀧は那智の奥山から湧き出でている清い川水で断崖にかかり落差133mの瀧で日本一の名瀑と云われています。神倭磐余彦命がこの御瀧を大己貴命の御霊代とし祀り後に飛瀧権現と称え今では熊野那智大社の別宮で飛瀧神社と申します。
修験道では瀧修行場として最高の霊場とし文覚上人の荒行などで有名であります。
お瀧水は古来「生命の母」と崇め延命長寿の霊水とする信仰が伝えられています。
この那智の瀧付近は「世界遺産」であり吉野熊野国立公園特別地域・国指定名勝・那智原始林は天然記念物でもあります。
御本尊 (秘仏) 如意輪観音坐像
木造 像高約300cm如意輪観音は法輪を転じて意の如く衆生を救い、延寿、安産、除難に功徳があるという。
推古天皇の勅願により、大和の生仏上人が椿の大木に刻んだという伝承をもつ当寺の本尊は、像高約3メートルの巨像。 彩色をほどこさない素地像で、その面貌は端正で美しい。
壇像彫刻の模古作で、本堂が再建された時の再興像と考えられている。 六臂の右第一手で頬杖をつき思惟のポーズをとり、右ひざを立てる輪王坐とする典型的な如意輪観音像である。
納経帳
〔御墨書〕 「奉拝」「普照殿」
「那智山」
〔御朱印〕 「西國第壱番札所」
蓮華台に「那智山」 宝珠の中に如意輪観音の種子「キリク」
「那智山納経所」
如意輪観音の種子 「キリク」
補陀洛や 岸打つ波は 三熊野の
那智のお山に ひびく滝津瀬
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