2012年01月27日
第5番 葛井寺
西国三十三ヶ所 第5番札所 葛井寺
紫雲山 (しうんざん) 葛井寺 (ふじいでら)
〔所在地〕 (河内國) 大阪府藤井寺市藤井寺1丁目16-21
〔宗派〕 真言宗御室派
〔開基〕 行基菩薩
〔創建〕 神亀2年 (725)
〔御本尊〕 十一面千手千眼観世音菩薩
〔真言〕 おん ばざら たらま きりく
〔略縁起〕 河内の文化は、飛鳥時代より奈良時代にかけて発展し、葛井寺も百済(くだら)王族「辰孫王」の子孫王氏一族の『葛井給子』が当時の天皇の仏教興降政策に協力し、国家のためと称して創建された。
永正七年(一五一〇)の勧進帳によると、『聖武天皇』の勅願による2km四方の七堂伽藍の建立で、当寺所蔵の伽藍絵図によると、金堂・講堂・東西両塔をそなえた薬師寺式の伽藍配置を整えていたと考えられる。 古子山葛井寺(紫雲山金剛琳寺ともいう)の勅号をいただき、その落慶法要には、天皇自ら行幸されたという。
その聖武天皇が春日仏師、稽文会(けいもんえ)・稽首勲(けいしゅくん)親子に命じて十一面千手千眼観世音菩薩を成させ、神亀二年(七二五)、三月十八日入仏開眼供養のため藤原朝臣房前卿を勅使に、行基菩薩を御導師として勤められた。
当寺御本尊の千手千眼観世音菩薩坐像は、千手にて迷える衆生を救うための大慈悲を示し、唐招提寺、三十三間堂とともに三観音として有名である。 秘仏。毎月十八日に開扉、その美しさは人々を魅了し、現世利益の観音信仰を支えてきた。
南大門 本堂
大師堂 護摩堂 阿弥陀堂
御本尊 (秘仏) 千手観音坐像 -国宝-
脱活乾漆造 像高131.3cm 奈良時代 (8世紀)大小1041本の手をそなえる圧倒的な姿。 胸前で合掌する両手以外の手は、背後に立てられた2本の支柱にとりつけられている。 麻布を貼り重ね、漆で表面を成形する脱活乾漆という手間のかかる技法で造られ、その精妙な造形によって穏やかに理知的な表情を写実的に表現している。 誇張のない体躯は、比例がよく整っていて堂々としており、お顔とよく調和している。 衣紋の隆起は高く、写実的な手法が一貫しており、天平時代の円熟しきった技巧手法が発揮された傑作である。
大阪府下で唯一の天平時代の作品というにとどまらず、日本彫刻史上、奈良の唐招提寺の乾漆立像と双璧と讚えられる乾漆像の傑作として、昭和13年に国宝に指定された。
納経帳
〔御墨書〕 「奉拝」
「大悲殿」
「葛井寺」
〔御朱印〕 「西國第五番」
蓮華台に「葛井寺」
宝珠の中に手千観音の種子「キリク」
「葛井寺納経所」
千手観音の種子「キリク」
参るより 頼みをかくる 葛井寺
花のうてなに 紫の雲
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