2012年02月02日

第6番 壺阪寺


西国三十三ヶ所 第6番札所 南法華寺




壺阪山 (つぼさかさん)  南法華寺 (みなみほっけじ)    通称 壺阪寺

〔所在地〕 (大和國) 奈良県高市郡高取町壷阪3番地

〔宗派〕 真言宗

〔開基〕 弁基上人 (べんきしょうにん)

〔創建〕 大宝3年 (703)

〔御本尊〕 十一面千手千眼観世音菩薩

〔真言〕 おん ばざら たらま きりく

〔略縁起〕 大宝三年(703)、元興寺の弁基上人がこの山で修行中、愛用の水晶の壺中に観世音菩薩を感得。 壺を坂の上の庵に納め、観音像を刻んで祀ったのが始まりという。  養老元年(717)、元正天皇により八角円堂が建てられ、南法華寺の正式寺号を賜った。 平安時代には清和天皇、藤原道長ら貴顕の参詣が相次ぎ、霊験の山寺として、また真言密教の一大道場として繁栄した。 『枕草子』には「寺は壺阪。笠置。法輪」と名を挙げられており、その隆盛ぶりがうかがえる。
 礼堂に続く本堂八角円堂におわすご本尊は、十一面千手観世音菩薩。 胸の前に手を合わせ、法力を湛えたお姿で、衆生救済への力強い意地を感じさせる。 殊に眼病に霊験あらたかな観音様である。
 明治の初め、盲目の夫沢市とその妻お里の夫婦愛を描いた浄瑠璃『壺阪霊験記』は、壺阪寺に伝わる観音霊験譚を下敷きに書かれたもの。 こうした物語が伝えられるほど、壺阪寺の観音様は目の観音様として広く信仰を集めてきた。
 また、昭和三十九年より始まったインドでのハンセン病患者救済活動のご縁からご招来された、世界最大級の天竺渡来大観音石像、大涅槃石像、大釈迦如来石像等、巨大石像群が境内にシルクロードの香を漂わせる。


           禮堂 (重文)                      八角円堂 (本堂)











      三重塔 (重文)          山門 (仁王門)             多宝塔



      お里・澤市像         大釈迦如来石像と三尊像     大涅槃石像と大観音石像





御本尊   十一面千手観音坐像

 木造  像高240cm  室町時代
 室町時代に再興された丈六の巨像。 素地仕上げで頭髪のみ彩色する様式は平安時代初期の壇像を思わせ、ふくよかで威厳のある面貌もどこか平安彫刻を感じさせる。
 日本における千手観音信仰は奈良時代後半に始まったとといわれ、第5番札所葛井寺の千手観音像が現存最古の千手尊とされている。 しかし、壺阪寺の創建時期が白鳳時代に遡ることはまちがいなく、創建当初から千手坐像を本尊としていた可能性を全面的に否定することはできない。 千手観音信仰の成立時期をめぐる議論に一石を投じる可能性もある魅力的な本尊である。




納経帳

 〔御墨書〕  「奉拝」
         「普照殿」
         「壺阪寺」

 〔御朱印〕  「西國第六番」
     蓮華宝珠の中に千手観音の種子「キリク」
         「壺阪山南法華寺」



   宝印に特殊な「キリク」字が用いられている。
   一般的なキリク字 とは違い「イー点」が上につく。
   お寺の説明では、伝統的に使われており、その起源は定かではないと云う。


千手観音の種子「キリク」




         岩をたて 水をたたえて 壺阪の
                        庭にいさごも 浄土なるらん




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