2012年02月07日

第7番 岡寺


西国三十三ヶ所 第7番札所 龍蓋寺




東光山 (とうこうざん)  龍蓋寺(りゅうがいじ)     通称 岡寺 (おかでら)

〔所在地〕 (大和國) 奈良県高市郡明日香村岡806

〔宗派〕 真言宗豊山派

〔開基〕 義淵僧正 (ぎえんそうじょう)

〔創建〕 天智天皇2年 (663)

〔御本尊〕 二臂如意輪観世音菩薩

〔真言〕 おん はんどめい しんだまに じんばら うん

〔略縁起〕 日本最初の厄除け霊場岡寺は飛鳥の東、山の中腹にある。
 創建は天智天皇2年(663)。 法相宗の祖ともいわれる義淵僧正が草壁皇子の亡き後、住まいであった岡宮をもらいうけ、寺を建立したのが始まりと伝えられている。 義淵僧正は良弁、行基など多くの名僧の師であり、竜門寺、道明寺などの寺も建立した。  その義淵僧正の出生は謎である。 寺伝によると子供に恵まれない夫婦が祈願した末に、家の柴垣の上に白い布にくるまれて置かれていた赤子が義淵僧正だったという。 観音菩薩の授かりものと大事に育てられ、それを聞いた天智天皇(天武?)が引き取り、岡の宮で養育されたと云う。
 龍蓋寺の名前の由来になった伝説も残っている。 この地に大雨や強風を巻き起こし村民を苦しめていた龍を義淵僧正がその法力をもって池に封じ込め、そこに大きな石で蓋をしたという。 その時の池が本堂前にある龍蓋池である。
 古来より「やくよけの観音様」として人々の信仰が厚く、鎌倉時代の『水鏡』にも、二月初午の日には必ず岡寺に参詣したと記録されている。


       桜門 (仁王門)  -重文-                   本堂











        開山堂                龍蓋池              十三重石塔





御本尊  如意輪観音坐像  -重文-
 塑像  像高 458cm  奈良時代 (8世紀)
 古くから厄除け観音として信仰を集めてきた。 奈良時代の作で、高さ4.58mの塑像は日本最大の土佛である。 重文に指定されており、弘法大師がインド、中国、日本と三国の土を合わせて造ったという壮大な寺伝がある。
 塑像は大きくなりすぎると自重で崩壊してしまうので、この像の大きさが限界に近いであろう。 密教移入後の如意輪観音は六臂の像が多くなるが、この古像は二臂像で右手を施無畏(せむい)印、左手を与願(よがん)印とする。 頭部は制作当時の状態がよく残り、奈良時代の仏らしく威厳に満ちた面貌であるが、体部については後世にかなり補修が施されている。 とくに細部は制作当初の半跏(はんか)から現在では結跏趺坐(けっかふざ)に改められている。





納経帳

 〔御墨書〕  「奉拝」
         「厄除大悲殿」
         「岡寺」

 〔御朱印〕  「西國第七番」
     蓮華宝珠の中に如意輪観音の種子「キリク」
     昇り龍と下り龍の間に「龍蓋寺」



   第6番壺阪寺と同じく、宝印に特殊な「キリク」字が用いられている。
   一般的なキリク字とは違い「イー点」が上につく。
   お寺の説明では、古くから使われており、その由来は判らないと云う。


如意輪観音の種子「キリク」




          けさ見れば つゆ岡寺の 庭の苔
                          さながら瑠璃の 光なりけり




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