2012年02月21日

番外札所 法起院


西国三十三ヶ所 番外札所 法起院




豊山 (ぶさん)  法起院  (ほうきいん)  開山堂 (かいざんどう)

〔所在地〕 (大和國) 奈良県桜井市初瀬776

〔宗派〕 真言宗豊山派

〔開基〕 徳道上人 (とくどうしょうにん)

〔創建〕 天平7年 (735)

〔御本尊〕 徳道上人像

〔御宝号〕 南無徳道上人 (なむとくどうしょうにん)

〔略縁起〕 法起院(ほうきいん)は奈良県桜井市に所在する長谷寺の塔頭寺院である。 宗派は真言宗豊山派。 本尊は徳道上人。 西国三十三ヶ所番外札所である。
 寺伝によれば奈良時代の天平7年(735)に西国三十三箇所を創始したと伝えられている徳道上人がこの地で隠棲した事に始まるとされる。 徳道上人は晩年、境内の松の木に登り法起菩薩となって遷化したと言われる。 当院の名称はそれに由来する。
 江戸時代前期の元禄8年(1695)、長谷寺化主の英岳僧正が寺院を再建し、長谷寺開山堂とした。 徳道上人像を安置し、境内には上人御廟の十三重石塔や、触れると願いが叶うという上人沓脱ぎ石などがある。


        本堂 (開山堂)        上人御廟十三重石塔       上人沓脱ぎ石



   多羅葉樹(葉書きの木)        末広稲荷大明神           馬頭観音堂




御本尊   徳道上人坐像   上人御自作 (寺伝)
 養老二年の春、突然の病のために仮死状態にあった上人は、夢の中で閻魔大王にお会いになり、悩める人々を救う為に三十三ヶ所の観音菩薩の霊場を広めるように委嘱され、そして三十三ヶ所の宝印を与えられてこの世に戻された。 上人は三十三ヶ所の霊場を設けましたが、人々は上人を信用しなかったので、やむなく宝印を摂津中山寺にお埋めになったと伝えられています。
  二百七十年後の永延二年(西暦九八八年)に、花山法皇がこの宝印をお掘り出しになり、今日の三十三ヶ所を復興なさいました。
 当法起院は上人が晩年隠棲されたところで、本尊は上人ご自作と伝えられる上人本尊を奉安しています。
 香煙でくすぶった茶褐色のお顔に、上人のお姿をご想像ください。




納経帳

 〔御墨書〕   「奉拝」
          「開山堂」
          「法起院」

 〔御朱印〕   「西國三十三靈場開基徳道上人」
      「一番始め」という意味で、丸に梵字の 「ア」
          「大和國長谷寺開山坊」




 御本尊は徳道上人像であるから、「ア」字は徳道上人の種子と思ったのだが、これは違った。
 納経所の説明では、「ア」字は「一番始め」という意味で用いられている。
 長谷寺及び西国三十三観音霊場の「開基」という意味であろう。

 「ア」字は梵字の基本字である。 弘法大師が著した『梵字悉曇字母并釈義』には、最初に「ア」字の発音・特性・字義などが説かれる。 「阿、音は阿。 訓は無・不・非なり。 阿字は是れ一切法教の本なり。 凡そ最初に口を開く音は皆阿の声あり。 若し阿の声を離れては則ち一切の言説なし。 故に衆声の母として又衆字の根本となす。 一切諸法本不生の義なり。 内外の諸教皆此の字より出生す。」とある。


梵字 「ア」




          極楽は  よそにはあらじ  わが心
                         おなじ蓮の  へだてやはある




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