2012年03月12日

第11番 准胝堂


西国三十三ヶ所 第11番札所 上醍醐 准胝堂




深雪山 (みゆきさん)  上醍醐 (かみだいご)  准胝堂 (じゅんていどう)

〔所在地〕 (山城國) 京都府京都市伏見区醍醐醍醐山1

〔宗派〕 真言宗醍醐派 (総本山)

〔開基〕 聖宝理源大師

〔創建〕 貞観16年 (874)

〔本尊〕 准胝観世音菩薩

〔真言〕 おん しゃれい それい そんでい そわか

〔略縁起〕 准胝堂は平成20年8月24日未明、落雷による火災により惜しくも焼失した。 現在、復興作業中で、准胝観音菩薩のご開帳、西国札所の納経は下醍醐の金堂で行われている。
 貞観16年(874)、聖宝理源大師は上醍醐山上で地主横尾明神の示現によって霊泉(醍醐水)を得た。 小さな堂宇を建立し、准胝観音像・如意輪観音像を安置したのに始まる。 その後、醍醐天皇の御願によって、延喜7年(907)に薬師堂が建立され、また五大堂が落成されて上醍醐の伽藍が完成した。 つづいて下醍醐の地に伽藍の建立が計画され、延長4年(926)に釈迦堂が建立され、ついで天暦5年(951)に五重塔が落成し、下伽藍の完成をみた。 応仁の乱で多くの堂を焼失したが、慶長3年(1598)の春に行われた醍醐の花見で知られる豊臣秀吉により復興された。
 醍醐寺は山上を上醍醐、麓を下醍醐と呼び、合わせて九十余りの堂塔が配置されている。 寺名の由来ともなった准胝堂の近くにある「醍醐水」は、寺の創建から、千年余り経た今も清水が湧き出る霊泉である。


              金堂                           五重塔












        清瀧宮                仁王門                 鐘楼






  御本尊 (秘仏)    准胝観音坐像
 木造  像高 31.5cm   寛政10年 (1798)
 33の札所中、准胝観音を本尊とするのは唯一この上醍醐だけである。 一面三眼十八臂の坐像で、准胝観音像として正統な姿をとっている。 右手は説法印・施無畏印・剣・数珠・子満果・鉞斧・鉤・金剛杵・宝鬘を、左手には如意宝珠・蓮華・澡灌・索・輪・螺・賢瓶・経篋を持つ。
 准胝観音は「准胝仏母尊」ともいわれ、清浄な心、母の慈愛をあらわす観音とされる。 醍醐天皇がこの観音に願をかけ、2皇子を授かったことから、子授け、安産、子育てにご利益のある観音さまとして、いまも多くの信仰を集めている。




納経帳

 〔御墨書〕  「奉拝」
         「根本准胝尊」
         「醍醐寺」

 〔御朱印〕  「西國第十一番」
     蓮華内に「醍醐寺」
     宝珠の中に准胝観音の種子「ボ」
         「上醍醐寺」




准胝観音の種子 「ボ」




         逆縁も  もらさで救う  願なれば
                          准胝堂は  たのもしきかな



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