2012年03月31日

番外札所 元慶寺


西国三十三ヶ所 番外札所 元慶寺




華頂山 (かちょうざん)  元慶寺 (がんけいじ)

〔所在地〕 (山城國) 京都府京都市山科区北花山河原町13

〔宗派〕 天台宗

〔開基〕 遍昭僧正

〔創建〕 貞観11年 (869)

〔御本尊〕 薬師如来

〔真言〕 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか




〔略縁起〕 桓武天皇の孫にあたる遍昭僧正は仁明天皇の崩御に従い出家し、延暦寺で仏門に入り、貞観11年(869)に華山寺を創建したとされている。 その後、元慶元年(877)には清和天皇の勅願寺となり、崋山寺から元慶寺に名称を変更したと伝えられている。
 応仁の乱までは寺域も広かったが、応仁の乱で寺が焼失してから、現在みられるような小さい規模の寺になったといわれている。
 寛和2年(986)、花山天皇が19歳で出家し法皇となったのが、この元慶寺である。 花山法皇は廃れかけていた西国霊場を復活させた人で、西国霊場中興の祖として知られている。
 開基の遍照僧正は六歌仙の一人として知られており、
     天津風 雲の通い路 吹きとじよ 乙女の姿 しばしとどめむ
は百人一首のなかでも特に有名である。



         御影   花山法皇
 平安時代中期の第65代天皇。 安和元年(968)~ 寛弘5年(1008)。 冷泉天皇の第一皇子。 母は、摂政太政大臣藤原伊尹の娘・女御懐子。 三条天皇の異母兄。
 安和2年(969)、叔父円融天皇の即位と共に生後10ヶ月で皇太子になり、永観2年(984)、同帝の譲位を受けて17歳で即位した。 2年後、藤原兼家・道兼父子の策略により、元慶寺(花山寺)において剃髪して仏門に入り退位した。
 出家し法皇となった後には、奈良時代初期に徳道上人が観音霊場三十三ヶ所の宝印を石棺に納めたという伝承があった摂津国の中山寺でこの宝印を探し出し、紀伊国熊野から宝印の三十三の観音霊場を巡礼し修行に勤めたという。
 この花山法皇の観音巡礼が西国三十三箇所巡礼として現在でも継承されており、各霊場で詠んだ御製の和歌が御詠歌となっている。 この巡礼の後、晩年は巡礼途中に気に入った場所である摂津国の東光山で隠棲生活を送ったとされる。 退位後の御在所に因んで「花山院」と呼ばれた。



納経帳
 〔御墨書〕   「奉拝」
          「花山法皇」
          「元慶寺」

 〔御朱印〕   「西國三十三所観音霊場巡禮開祖」
  十六菊紋の菊心に「元」   蓮華宝珠の中に薬師三尊の種子
  中央上に薬師如来の種子「バイ」
  右下に日光菩薩の種子「ア」   左下に月光菩薩の種子「シャ」
          「華頂山元慶寺之印」


 

 ※ 御本尊は薬師三尊形式で安置されている。
 薬師三尊は、仏像安置形式の一つで、
 薬師如来を中尊とし、日光菩薩を左脇侍、月光菩薩を右脇侍として配置する三尊形式である。




            月光菩薩「シャ」    薬師如来「バイ」   日光菩薩「ア」





      待てといわば  いとも畏し  花山に
                        しばしと啼かん  鳥の音もがな




この記事へのトラックバックURL

http://manyuuki.mediacat-blog.jp/t77341