2012年04月05日

第15番 今熊野観音寺


西国三十三ヶ所 第15番札所 今熊野観音寺




新那智山 (しんなちさん)  観音寺    通称 今熊野観音寺 (いまくまのかんのんじ)

〔所在地〕 (山城國) 京都市東山区泉涌寺山内町32

〔宗派〕 言宗泉涌寺派

〔開基〕 弘法大師

〔創建〕 天長年間 (824~834)

〔御本尊〕 十一面観世音菩薩

〔御真言〕 おん まか きゃろにきゃ そわか
       おん ろけい じんばら きりく

〔略縁起〕 創建の年代には諸説があるが、弘法大師が唐の国から帰朝後、当山において熊野権現のお告げにより一寸八分の十一面観世音菩薩像と一夥の宝印を授かった。 大師はお告げのままに一堂を建立、みずから一尺八寸の十一面観世音菩薩像を刻まれ、授かった一寸八分の像を体内仏として納め奉安された。 弘仁3年(812)、大師は嵯峨天皇から官財を賜わり、勅旨を奉じて諸堂を造営されたのが当山の始まり。 天長年間(824~834)に開かれたとする所伝は、この造営の完成を伝えるものと考えられる。
 平安末期の永暦元年(1160)には、後白河上皇がこの地に熊野権現を勧請され、当山のご本尊をその本地仏として定められ、「新那智山」の山号を賜り、山麓に新熊野神社を造営された。 後白河上皇は御持病の頭痛を当山の観音さまの御夢告によって平癒されたので、爾来世の人々からも頭痛封じの観音様として、智慧授かり、学業成就、ぼけ封じなど頭に関連することにも験能があると尊崇されるようになった。


              本堂                            大師堂












        鳥居橋               熊野権現社               鐘楼






     御本尊 (秘仏)    十一面観音立像
 木造  像高 68.2cm   室町時代 (1487)
 現本尊は秘仏だが、調査により1寸8分の胎内仏と、像底から墨書銘がみつかり、長享元年(1487)の作とわかった。 文明2年(1470)、観音寺焼亡の後に再興された像と考えられている。
 彫眼、一木造で金箔を施す。 後白河法皇の持病だった頭痛を平癒したことから、頭痛封じをはじめ智慧授かり、学業成就、ぼけ封じなど頭に関連することに験能があるとされる。
 御前立の両脇侍仏は 左脇侍に不動明王(智証大師作)、右脇侍に毘沙門天(運慶作)。





納経帳

 〔御墨書〕   「奉拝」
          「大悲殿」
          「観音寺」

 〔御朱印〕   「西國十五番」
      宝珠の中に十一面観音の種子 「キリク」
          「役者」



 ※ 十一面観音の種子は「キャ」が一般的なのだが、ここでは「キリク」が使われている。
 もう一つの真言「おん ろけい じんばら きりく」から用いられたのであろうか?
 しかし、カラー御影の十一面観音立像の光背には「キャ」が画かれている。
 この違いは何を意味するのだろうか、不可解である。

 寺印には「役者」の角印。
 お寺の説明では、「役目を負う者」という意味らしい。
 




十一面観音の種子 「キリク」




        昔より  立つとも知らぬ  今熊野
                         ほとけの誓い  あらたなりけり



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