2012年04月29日

第19番 革堂


西国三十三ヶ所 第19番札所 革堂




霊麀山 (れいゆうざん)  行願寺 (ぎょうがんじ)     通称 革堂 (こうどう)

〔所在地〕 (山城國) 京都府京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町17

〔宗派〕 天台宗

〔開基〕 行円上人 (ぎょうえんしょうにん)

〔創建〕 寛弘元年 (1004)

〔御本尊〕 十一面千手観世音菩薩

〔御真言〕 おん ばざら だるま きりく そわか

〔略縁起〕  行願寺の創建は寛弘元年(1004)。 深く観音に帰依していた行円上人(ぎょうえんしょうにん)が、千手観音像を造るための用材を探していたところ、夢のお告げがあって賀茂神社の傍らの霊木を得、これに8尺の千手観音像を刻み、一条北辺堂を復興してこの千手観音像を安置して行願寺(ぎょうがんじ)と名づけた。
 当初の寺地は現在の京都市上京区、京都御苑の西方で、付近に革堂町、革堂仲之町、革堂西町の町名が残る。 寺は豊臣秀吉による都市計画のため、天正18年(1590)に寺町荒神口(現・上京区、京都御苑東側)に移転。 宝永5年(1708)の大火の後、寺町荒神口の旧地からやや南に下がった現在地に移転した。
 行円上人の生没年は不詳。 九州又は比叡山の横川の出身とも云われる。 仏門に入る前は狩猟を業としていたが、ある時、山で身ごもった雌鹿を射たところ、その腹から子鹿の誕生するのを見、殺生の非を悟って仏門に入ったという。 行円上人はその鹿の皮を常に身につけていたことから、皮聖、皮聖人などと呼ばれ、寺の名も「革堂(こうどう)」と呼ばれた。


              本堂                          鎮宅霊符神堂











         山門               七福神石像               鐘楼





    御本尊 (秘仏)     千手観音立像

 行円が賀茂神社の霊木を御衣木(みそぎ)として造立したと伝わる。 像高8尺の金色の像で、天蓋(てんがい)には1尺の鏡があったという。
 現本尊は康永4年(1345)の火災後の再興像と思われる。 合掌手と宝珠手以外の脇手を、掌をびっしりと張りつけて表現していて、ほかに類例のない特異な像容である。 行円が創案したものを再興時に踏襲したとも考えられ、たいへん興味深い像である。





納経帳

 〔御墨書〕    「奉拝」
           「革堂」
           「行願寺」

 〔御朱印〕    「西國十九番」
   蓮華宝珠の中に千手観音の種子 「キリク」
           「革堂」





千手観音の種子 「キリク」





        花を見て  いまは望みも  革堂の
                           庭の千草も  盛りなるらん



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