2013年02月02日

第2番札所 岩殿観音


坂東三十三ヶ所 第2番札所 岩殿観音





海雲山 (かいうんざん)  岩殿寺 (がんでんじ)       通称 岩殿観音

〔所在地〕 (相模国) 神奈川県逗子市久木5-7-11

〔宗派〕 曹洞宗

〔開基〕 徳道上人(とくどうしょうにん)・行基菩薩(ぎょうきぼさつ)

〔創建〕 養老5年 (721)

〔御本尊〕 十一面観世音菩薩

〔御真言〕 おん まか きゃろにきゃ そわか





〔略縁起〕 寺伝によれば、養老5年(721)、大和長谷寺の開基徳道上人がこの地を巡錫し、熊野権現の化身である老翁に逢い、霊地であることを知り祠を建てたのが始まりとされる。 数年後に行基菩薩が訪れ、十一面観音の石像を造立して安置したのが開創と言われている。 このため当寺では、徳道上人と行基菩薩の二人を開山としている。
 平安時代には花山法皇や後白河法皇も来山したと伝えられる。 鎌倉時代には、源頼朝によって寺領が寄進されたと伝えられ、『吾妻鏡』には源実朝や御台所、大姫らがしばしば当寺に参詣したことが記されている。 その後衰退するが、天正19年(1591)に徳川家康によって再興された。
 境内に建つ観音堂は徳川家康が修復したものと伝えられ、観音堂の背後には「奥の院岩殿観音」という岩窟がある。 ここが御詠歌に詠まれる「天の岩戸」であり、寺名「岩殿寺」の由来ともなっている。
 観音堂の脇には、「鏡花の池」と呼ばれる池があり、明治の文豪泉鏡花が寄進したもの。 明治35年、病気療養のため逗子に滞在していた泉鏡花は、しばしばこの寺を訪れ、老僧との交友の中から、岩殿寺を舞台にした『春昼』・『春昼後刻』などの作品を遺している。


御本尊の御影





御住職の法話

    泉鏡花と岩殿寺           岩殿寺第十七世住職 洞外正教

 泉鏡花と岩殿寺との関係は、先住老僧との出合いからはじまります。
 明治三十五年の夏、散策がてら来山された折、あまりにも疲れきった顔をされていたのを、老僧が心配し、庫院に迎い入れ、茶話のうちに、四年の年月、老僧との交友がはじまったわけです。
 老僧は易学にこっていたので、鏡花も来訪の都度、老僧の易を楽しまれ、ことのほか老僧の漢詩の話に聞き入ったとのことです。
 この四年間の老僧との交友が、後年の鏡花文学のあの神秘な作品の基礎づくりになったことは、作品を読めばうなずけると思います。
 当初、不健康の原因となったのは、後年奥さんになられるすず夫人との師(尾崎紅葉)を裏切っての同棲生活にあったわけです。慢性の胃腸病に加えて強度のノイローゼに苦しんでいた鏡花でしたが、適度の散策と、老僧の情熱的な茶談に、健康を回復されたわけです。こうした報恩の心が、御夫妻をして、観音堂前に「鏡花の池」の寄進をおもいたたせたことでしょう。池づくりには、すず夫人の御努力が大変なもので、老僧の奥さま宛に送られた手紙のうちに、読みとられます。
-『板東三十三所観音巡礼』から-



納経帳

   〔御墨書〕    「海雲山」
              梵字「キャ」  「大悲殿」
              「岩殿寺」

   〔御朱印〕    「坂東第二番」
              「佛法僧寶」
             「岩殿観音」





十一面観音の種子「キャ」




       たちよりて 天の岩戸を おし開き
                       仏をたのむ 身こそたのしき




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