2013年02月05日

第3番札所 田代観音

坂東三十三ヶ所 第3番札所 田代観音





祇園山  安養院  田代寺(たしろじ)        通称 田代観音

〔所在地〕 (相模国) 神奈川県鎌倉市大町3-1-22

〔宗派〕 浄土宗

〔開基〕 田代信綱(たしろのぶつな)・北条政子(ほうじょうまさこ)

〔開山〕 尊乗上人(そんじょうしょうにん)・願行上人(がんぎょうしょうにん)

〔創建〕 建久3年(1192)・嘉禄元年(1225)

〔御本尊〕 千手観世音菩薩(旧田代寺本尊)
       阿弥陀如来(旧安養院本尊)

〔御真言〕 おん ばざら たらま きりく (千手観世音菩薩)





〔略縁起〕 源頼朝の家臣であった田代信綱は観世音菩薩を深く信心していた。戦場での数々の危難を乗り越え、数度の武勲を挙げることが出来たのも、すべて観世音菩薩の加護と御利益であるとして、その報恩のために建久3年(1192)、尊乗上人を開山として比企ヶ谷に「白花山田代寺」を創建した。本尊の千手観音は鎌倉期制定の坂東三番札所として尊信を集めた。
 一方、北條政子は嘉禄元年(1225)、夫・頼朝の菩提を弔うため笹目ヶ谷に願行上人を開山として「祇園山長楽寺」を建立した。この年に政子も亡くなり、長楽寺は政子の菩提寺となった。元弘3年(1333)、鎌倉幕府滅亡の際に長楽寺は兵火で焼失したため、同様に焼失した名越の「善導寺」の跡に移転し、善導寺と合併した。阿弥陀如来を本尊とし、政子の法号「安養院殿如実妙観大禅定尼」に因んで「安養院」と改称した。
 その後、江戸時代に入った延宝8年(1680)の火災を機に、末寺であった田代寺をこの地に移して再興した。同時に板東札所も安養院が受け継いで、「祇園山安養院田代寺」と称することになった。
 こうして複数の寺院が合併して現在の安養院となっていることから、本堂には旧安養院本尊の阿弥陀如来坐像が手前に、旧田代寺本尊の千手観音立像がその後ろに安置されている。


御本尊の御影




御住職の法話

    安養院五観音の意義             安養院住職 鳥居眞理

 安養院には、次の五体の観音さまが祀られています。
 本尊千手観音=すべての衆生を千の慈眼をもってご覧になり、千の手を差しのべて摂化されます。
 馬頭観音=その鋭い三眼をもった忿怒の相は耶悪を折伏せんがためで、馬頭を戴くのは大慈悲を奔馬のように速やかに施すことを表わしています。
 准胝観音=七億の仏母として惑と業と苦の三障を除くことを主眼とされています。
 不空羂索観音=心念不空の羂索によって衆生をつり上げて救済し、彼岸に至らせようとの念願を表わします。
 聖観音=左の手に未敷の蓮華を持ち、右手指先から生ずる微風によって開花しようとする姿を示しています。
 これらの像を拝む時、蓮華が泥の中から生じて泥に染まらないように、現実苦悩の灼熱の世界から、すがすがしい解脱の世界へと高められていく思いがいたします。
-『板東三十三所観音巡礼』から-




納経帳

     〔御墨書〕      「かまくら」
                 「千手大悲殿」
                 「田代寺」

     〔御朱印〕      「坂東第三番札所」
                 蓮華宝珠に「佛法僧寶」
                 「相模國 安養院 鎌倉町」





千手観音の種子「キリク」




          枯樹にも  花咲く誓ひ  田代寺
                         世を信綱の  跡ぞ久しき




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