2013年02月13日

第4番札所 長谷観音

坂東三十三ヶ所 第4番札所 長谷観音





海光山 (かいこうざん)  長谷寺 (はせでら)        通称 長谷観音

〔所在地〕 (相模国) 神奈川県鎌倉市長谷3-11-2

〔宗派〕 浄土宗系単立

〔開基〕 藤原房前 (ふじわらのふささき)

〔開山〕 徳道上人 (とくどうしょうにん)

〔創建〕 天平8年 (736)

〔御本尊〕 十一面観世音菩薩

〔御真言〕 おん まか きゃろにきゃ そわか





〔略縁起〕 養老5年(721)、大和の長谷寺の開基でもある徳道上人が大和国でクスノキの大木から2体の観音像を刻ませた。 そのひとつが大和の長谷寺に安置された仏像で、もう一体は「どこか有縁の地に出現して衆生を救いたまえ」と、海上へ流されたと伝わる。 15年後の天平8年(736)、三浦半島の長井の浜に観音の巨像が流れ着いた。
 この観音像を本尊として、徳道上人を開山と仰いで内臣藤原房前が奉安したのが、鎌倉の長谷寺の始まりという。 鎌倉の長谷寺と奈良の長谷寺の御本尊は、「同木異体」の観世音菩薩といわれる由縁である。
 鎌倉時代には「長谷の観音さま」と信仰され、室町時代になると、康永元年(1342)に足利尊氏が本尊を金箔で修復し、明徳3年(1392)には足利義満が光背を奉納し、武将たちの信仰も厚かった。 江戸初期の慶長12年(1607)には徳川家康が堂塔伽藍を改修し、これを機に浄土宗に改宗した。 衆庶の帰依は広範囲におよび、明治以降に単立となった。



御本尊の御影




御住職の法話

    観音さまは男か女か           故・長谷寺前住職 竹石耕美

 参拝の方から、観音さまは男か女かとの問いかけが案外多くあります。 ある雑誌のクイズで「観音さまは男」とひと文字の解答が目にとまりました。 いかにも自信に満ちた解答です。 しかし、これで質問者は納得するでしょうか。面白くもなんともないでしょう。
 観音さまには、男性的なお顔が多くありますが、光明皇后、檀林皇后をモデルにしたといわれる豊かな官能の匂いを発するお像、親鸞聖人が出会った観音さまも女であったにちがいないでしょぅ。 たびたび経文に登場する観音さまは男だと、考えもせず決めてしまっています。 しかし女であってもよいのではないでしょうか。 すべて女だといいたいのではなく、男女は平等だし、服装も動作も区別のない時代です。 仏さまの世界では、昔から男女の区別はないのだと考えたいのです。
 それにしても、仏教を理解することも、わからせることも、とても大変なことだと痛感いたします。 精進したいものです。
-『板東三十三所観音巡礼』から-




納経帳

     〔御墨書〕     「海光山」
                「十一面大悲殿」
                 「長谷寺」

     〔御朱印〕     「坂東四番」
                「鎌倉 観世音 長谷」
                「長谷寺印」




十一面観音の種子「キャ」




       長谷寺へ  まいりて沖を  ながむれば
                       由井のみぎはに  立つは白浪




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