2013年02月18日

第5番札所 飯泉観音

坂東三十三ヶ所 第5番札所 飯泉観音





飯泉山 (いいずみさん)   勝福寺 (しょうふくじ)      通称 飯泉観音

〔所在地〕 (相模国) 神奈川県小田原市飯泉1161

〔宗派〕 古義真言宗

〔開基〕 弓削道境法師 (ゆげのどうきょうほうし)

〔創建〕 天平勝宝5年 (753)

〔御本尊〕 十一面観世音菩薩

〔御真言〕 おん まか きゃろにきゃ そわか





〔略縁起〕 孝謙上皇没後の天平勝宝5年(753)、下野国薬師寺戒壇院再興のため、僧道鏡が下野国へ赴く途中、上皇から賜った十一面観音を相模国足柄下郡千代村に堂宇を建立して奉安したのが勝福寺の始まり。 この観音像は、奈良に唐招提寺を開いた僧・鑑真和上が招来したものと伝えられる。 当初は補陀落山弓削寺と称し、道鏡の出身である弓削氏の氏寺であった。
 室町時代に現在地に移ったとされ、応永25年(1418)には小田原城の鬼門鎮護の寺となり、勝福寺の勅号を賜り、歴代小田原城主の帰依が篤く栄えた。
 なお、この寺には仇討ちで知られる曾我兄弟(曾我祐成・時致)、江戸時代の名力士・雷電為右衛門、幕末の農政家・二宮尊徳(二宮金次郎)にまつわる伝説が残されている。



御本尊の御影





御住職の法話

    「和顔愛語」の心             勝福寺住職 峯孝雅

 ここ勝福寺は千二百年の歴史をもつ寺です。 その間、栄枯盛衰はあったでしょうが、この寺は巡礼参拝の方々の外護を、たくさん受けてきたものと思います。
 私もお寺でお参りを受けるだけでなく、いつか一遍、自分で巡礼に出てみたいという悲願が三年前に実り、檀信徒と一緒に坂東・西国・秩父百観音を巡礼して参りました。 自分で巡礼をしてみてわかったことですが、それぞれのお寺さんを印象深く参拝するということは、一回ではなかなかできないものだ、ということでした。常日頃お寺でお参りを受けておりますと、二度三度はもちろん、何十遍もお出でになる方がいらっしやいますが、さこそと思いあたった次第です。
 数ある札所の中でもいわゆる難所といわれる所は、お寺に着くまでが大変なので印象に残りますが、やはり一番深く心に残るのは、お参りをしたときのご住職や寺務の方々の「よくお参りです」という優しい言葉と、笑顔で迎えてくださる応接の態度でした。 仏教には「和顔愛語(わげんあいご)」という言葉がありますが、これこそがお参りを受ける側の真の接待ではないか、と深く心に刻んで帰って参りました。 以後、自坊に戻って自分自身に注意を促しております。 ここは五番とはいいながら西から来られると坂東の第一印象のお寺ですので、坂東の顔として和顔愛語をもって巡礼に接する心としたいと念じております。
-『板東三十三所観音巡礼』から-




納経帳

    〔御墨書〕      「飯泉山」
                梵字「キャ」  「十一面大悲閣」
                「勝福寺」
    〔御朱印〕      「坂東五番」
                「佛法僧寶」
                「飯泉山勝福寺」
                「二宮尊徳先生初発願靈場」




十一面観音の種子「キャ」




        かなはねば  たすけたまえと  祈る身の
                         船に宝を  つむはいいづみ




この記事へのトラックバックURL

http://manyuuki.mediacat-blog.jp/t87765