2013年03月06日

第7番札所 金目観音

坂東三十三ヶ所 第7番札所 金目観音





金目山 (かなめさん)  光明寺 (こうみょうじ)       通称 金目観音

〔所在地〕 (相模国) 神奈川県平塚市南金目896

〔宗派〕 天台宗

〔開基〕 道儀上人 (どうぎしょうにん)

〔創建〕 大宝2年 (702)

〔御本尊〕 聖観世音菩薩

〔御真言〕 おん あろりきゃ そわか





〔略縁起〕 伝承によれば、開創は大宝2年(702)。 金目川の河口で潮汲みの海女が観音像を拾い、家の中に祀って篤く信仰した。 その後、道儀上人が観音堂を建立したのが光明寺の始まり。 天平年間(729~749)、この地を訪れた行基菩薩が1.7メートルの観音像を彫み、その「胎内」に海浜出現の金像を納めた。
 こうした故事により、金目の観音は「お腹ごもりの観音」といわれるようになり、安産祈願のご利益で信仰されるようになった。
 鎌倉時代には源頼朝の妻・北条政子が祈願し、無事に実朝を出産したことから、源将軍家は相次いで帰依し、寺領を寄せて祈願所と定めたので、寺運はこの頃から大いにあがった。 江戸時代には、慶安2年(1649)、徳川家光より朱印状を受け、元禄10年(1669)には慶賀和尚によって伽藍が復興されている。



御本尊の御影





御住職の法話

   念彼観音力の観音さま信仰           光明寺住職 大久保良允

 観音経の中には優れた名句がたくさんあって、そのどれにも引きつけられます。 それらの中からただ一句だけあげるとすれば、「念彼観音力」しかないでしょう。 常住坐臥-朝念観世音 暮念観世音-それだけで信仰は充分である、と信じています。
 観音妙智力は、何にたとえようもなく、広大にして清浄、無量無辺の慈悲そのものの相であることを観じながら、日々観世音に仕えられることを無上の喜びとして、深く感謝しています。 当山ご本尊は海中出現の金像をお腹籠としたことから、源頼朝公政子夫人安産祈願の故事もあり、安産祈願の寺として広く知られてきました。
 明応年間建立の観音本堂も、多くの方々のお力によって解体修理が完成し、平塚市最古の伽藍として参拝者も多く、観音信仰も次第に盛んになってきました。
 多くの人々のさまざまな悩みを、その人と共に悩み、祈り、幾多の念願成就の喜びを、観音さまのご利益として喜び、感謝しながら、ますます「念彼観音力」の信仰を深めていきたい、と切に願っております。
-『板東三十三所観音巡礼』から-




納経帳

    〔御墨書〕       「金目山」
                 梵字「サ」  「大悲殿」
                 「光明寺」

    〔御朱印〕       「坂東七番」
                 「佛法僧寶」
                 「金目山光明寺」




聖観音の種子「サ」




       なにごとも  いまはかなひの  観世音
                         二世安楽と  たれか祈らむ




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