2013年03月16日

第9番札所 慈光寺

坂東三十三ヶ所 第9番札所 慈光寺





都幾山 (ときさん)   慈光寺 (じこうじ)

〔所在地〕 (武蔵国) 埼玉県比企郡ときがわ町西平386

〔宗派〕 天台宗

〔開基〕 慈光老翁 (じこうろうおう)

〔開山〕 釈道忠 (しゃくどうちゅう)

〔創建〕 白鳳2年 (673)

〔御本尊〕 十一面千手千眼観世音菩薩

〔御真言〕 おん ばざら たらま きりく





〔略縁起〕 寺伝によれば白鳳2年(673)慈光翁が僧慈訓に命じて千手観音像を彫ませ、本尊として祀ったのがこの寺の創始。 この慈光翁の名が寺号の由来となっている。
 その後、役行者が修験の道場を開き、奈良時代になると鑑真和上の高弟だった釈道忠が丈六の釈迦如来像を彫んで全山の堂宇を整え、慈光寺第一世となったと伝わる。
 平安時代には清和天皇の勅願所となり、「天台別院一乗法華院」、すなわち比叡山延暦寺の関東別院と定められた。 戦国時代には焼き討ちに遭うなどもあったが、江戸時代には徳川将軍家の帰依を得て寺領100石を安堵され、桂昌院の信仰も篤く、栄えた。



御本尊の御影




御住職の法話

   お母さんの姿               慈光寺第百七世住職 佐伯明了

 「父母恩重経」というお経があります。 そのお経にも説かれていますが、とにかく手のかかるのが赤ちゃんです。 両親から受けついだ菩提心・生命力となる因と、身体を縁とする因縁によって結ばれ、両親あるいは祖父母が真剣になって、五体満足な子が授かりますようにと神仏に祈願して、やっと誕生。 生まれてからは毎日、授乳や衣類・おむつの交換、夜中に泣き出したりすれば、どこか具合いが悪いのではないかと心配しながら、泣きやむまで抱いていてくれます。 お母さんの手と目は、昼夜休むことなく、大切な役目を果たしています。 三歳ぐらいまではこうしたことは母親の責任でしょうが、食事や排泄、さらに入浴時の衣類の着脱などは自分以外に頼めないものです。 いつまでもお母さんが手をかけるのではなく、少しずつ自分でやっていくように教えていただきたいと思いますが、それはともかく、いつまでもわが子のことで喜怒哀楽を表情に表わし、たくさんのまなざしを向け、数多くの手を使ってくださる姿を象徴するのが、十一面千手千眼観世音菩薩です。
 特に左手の中で一つだけ掌をうしろに向けている甘露手(かんろしゅ)がありますが、これは子供を背負うことを表わしているのです。 そう思って、当山のご本尊のお相(すがた)を礼拝してください。 このみ仏が、私を、そしてあなたを愛育してくださったお母さんなのです。
-『板東三十三所観音巡礼』から-




納経帳

    〔御墨書〕      「都幾山」
                「千手大悲閣」
                「慈光寺」

    〔御朱印〕      「坂東九番」
                梵字「光明真言曼荼羅」の円の中に
                右に、釈迦如来の種子「バク」
                左に、千手観音の種子「キリク」
                「慈光寺印」






御宝印 (光明真言曼荼羅)

 〔左〕 開基慈光翁所縁の千手観音の種子「キリク」
 〔右〕 開山釈道忠所縁の釈迦如来の種子「バク」
周りに梵字の「光明真言」  下から時計回りに、「オン・ア・ボ・キャ・ベイ・ロ・シャ・ノウ・マ・カ・ボ・ダラ・マ・ニ・ハン・ドマ・ジンバ・ラ・ハラ・バ・リタ・ヤ・ウン」






           千手観音の種子「キリク」          釈迦如来の種子「バク」





梵字の光明真言

  オン   ア    ボ    キャ  ベイ   ロ    シャ  ノウ   マ   カ    ボ   ダラ


   マ    ニ    ハン  ドマ  ジンバ  ラ   ハラ   バ   リタ   ヤ   ウン






        聞くからに  大慈大悲の  慈光寺
                          誓いも共に  深きいわどの





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