2013年03月28日

第10番札所 岩殿観音

坂東三十三ヶ所 第10番札所 岩殿観音





巌殿山 (いわどのさん)  正法寺 (しょうぼうじ)      通称 岩殿観音

〔所在地〕 (武蔵国) 埼玉県東松山市岩殿1229

〔宗派〕 真言宗智山派

〔開基〕 逸海上人 (いっかいしょうにん)

〔創建〕 養老2年 (718)

〔御本尊〕 千手観世音菩薩

〔御真言〕 おん ばざら たらま きりく





〔略縁起〕 養老2年(718)、諸国巡錫中の逸海上人が四十八峰・九十九谷といわれた岩殿山で修行し、僧侶に化した観音菩薩が霊夢に現れたので、千手観音を刻んで岩窟に納めたのが草創であるという。 また、役行者によって開かれた修験の靈場であるとも伝えられている。
 延暦年間(782~806)には、奥州平定に向かう途中の坂上田村麻呂が当地の悪龍を退治した。 田村麻呂は観音菩薩の利益によるものと感じ、桓武天皇に奏上して伽藍を建立したという。
 その後衰退するが、建久年間(1190~1199)源頼朝の命により比企能員が復興。 能員が北条時政により自害させられると、その嫡子時員は追手を逃れて出家し、この寺を護った。
 室町時代には大いに栄えたが、永禄10年(1567)松山城合戦の兵火で堂塔は焼失。 天正2年(1574)僧栄俊が中興した。 江戸時代に入って慶長19年(1611)には徳川家康より寺領二十五石の朱印地を与えられた。
 江戸時代以降は何度か火災に遭い、現在の堂宇は明治時代になってから整備されたもの。



御本尊の御影




御住職の法話

    観音信仰とそのご利益            正法寺長老 中嶋政海

 札所の三十三の数は、観音経の「三十三身示現」に因むもので、観音さまが、仏の身でありながら菩薩となって、広大な功徳をもって、一切衆生に接し給うことをいう。 観音さまは、正しくは大慈大悲観世音菩薩といい、「世音を観ずる菩薩」の意で、南無観世音菩薩と救いを求める衆生の声を聞いて大慈悲の手をさしのべ、衆生を苦悩・危難から救済し給う菩薩である。 その仏飯をいただいている毎日の生活に感謝している。
 当山住職となって十年ほどたったある日、本堂裏と北の切りたった崖に生えている木々の枝を伐採、清掃していた時のことだった。 三時の休憩を終え、立ち上って二、三歩進み出したその時、それまで座っていた場所めがけて三十センチぐらいの岩が三つばかり、がらがらと崖の上から転がり落ちてきたのだ。
 一瞬、肝をつぶす思いがした。 わずか数秒の差で生死を分けたのだ。 慈悲深い観音さまのご利益に、合掌して深く頭を垂れずにはいられなかったことだ。
 近年、観音霊場巡拝者がめっきりふえ、札所を護持する者としてたいへん喜ばしい限りである。
-『板東三十三所観音巡礼』から-




納経帳
   〔御墨書〕    「巌殿山」
             梵字「キリク」  「大悲殿」
             「正法寺」
   〔御朱印〕    「坂東十番」
   蓮華宝珠の中に4つの梵字  「オン」「ケン」「キリク」「ボク」
     上に、帰命句(最上の讃歎句)の「オン」
     下左に、荒神の種子「ケン」か?
     下中に、御本尊千手観音の種子「キリク」
     下右に、穣虞梨童女(じょうぐりどうじょ)の種子「ボク」か?
             「武州正法寺岩殿」





                           帰命句の「オン」


           荒神「ケン」       千手観音「キリク」      穣虞梨童女「ボク」





        後の世の  道を比企見の  観世音
                         この世を共に  助け給へや




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