2013年06月14日

下野国一宮 宇都宮二荒山神社


下野国一宮
宇都宮二荒山神社 (うつのみやふたあらやまじんじゃ)





下野国一宮 宇都宮二荒山神社 (うつのみやふたあらやまじんじゃ)

〔鎮座地〕 栃木県宇都宮市馬場通り1-1-1

〔社格〕 旧国幣中社  下野国河内郡の式内社・二荒山神社(名神大)

〔御祭神〕 豊城入彦命 (とよきいりひこのみこと)

〔相殿神〕 大物主命 (おおものぬしのみこと)
       事代主命 (ことしろぬしのみこと)

〔御由緒〕 豊城入彦命は第十代崇神天皇の御子で、弟の活目尊(いくめのみこと)と共に優れておられたので、夢占を行い、豊城入彦命は四道将軍として東国平定を任ぜられ、活目尊は第十一代垂仁天皇として即位された。
 仁徳天皇の御代、祭神の四世孫となる奈良別王(ならわけのきみ)が国造として大和より下野の地へ入られ、国土の開拓を行い、同時に自らの祖先神である豊城入彦命を、現在の下之宮の地へ祀ったのが当社の創祀であるという。 その後承和五年(838)に現在の臼ヶ峰の地へ遷座されたと伝える。
 『延喜式』には名神大社として記載され、社務職を代々の城主が兼ねるなど当国の総氏神として朝野の崇敬を集めた。
 武神としても尊崇され、平将門の乱を鎮めた藤原秀郷をはじめ、源頼朝、徳川家康らによる戦勝祈願が行われ、社領の寄進や社殿の改修が度々行われた。 現在の社殿は戊辰の役の際に焼失し、明治十年(1877)に再建されたもの。 境内には末社が十二社、多くの記念碑が建立されている。
-『全国一の宮めぐり』から-


              拝殿                            本殿











社殿
 神社は何度も火災にあい、現在の社殿は明治10年に再建されたものです。
 神社は宇都宮城の真北に当り、大通りの大鳥居から表参道石段・95段を登り詰めた処に唐破風神門があり左右八間の廻廊が配されています。 神門を入ると東側に神楽殿、西側に手水舎及び神符守札授与所があり、中央奥に御本社(本殿・拝殿)があります。
 以前の本殿は入母屋造(いりもやづくり)でしたが今は神明造(しんめいづくり)になり、拝殿は入母屋造です。 神明造の本殿と入母屋造の拝殿が相の間で結ばれた少し変った様式です。
 当社創建の旧荒尾崎(馬場町)には摂社下の宮を祀り神社発祥の聖地を守っています。
-宇都宮二荒山神社公式サイト-


       唐破風神門              神楽殿               明神の井戸




境内末社

     市神社・須賀神社            女体宮               初辰稲荷神社


    市神社    〔御祭神〕 大市姫命 (市・商業の神)
    須賀神社    〔御祭神〕 素戔嗚尊 (お天王さん)
    女体宮    〔御祭神〕 三穗津姫命 (安産の神)
    初辰稲荷神社    〔御祭神〕 倉稲魂命 (豊穣・商業の神)


       十社          松尾神社          荒神社           水神社


   十社(県内式内社の神) 〔御祭神〕 素戔嗚尊・天兒屋命・味耜高彦根命・武甕槌命・
                   豊城入彦命・大山咋命・事代主命・下照姫命・譽田別尊・日本武尊
   松尾神社   〔御祭神〕 大山咋神・中津島姫命 (醸造の神)
   荒神社   〔御祭神〕 素戔嗚尊 (疫病鎮め神)
   水神社   〔御祭神〕 罔象女大神 (水の守神)


        菅原神社               劍宮                 十二社


   菅原神社   〔御祭神〕 菅原道眞公 (学問の神)
   劍宮    〔御祭神〕 素戔嗚尊 (武徳の神)
   十二社(肇国の神)   〔御祭神〕 国常立神・国狭槌神・豊斟渟神・埿土煮神・沙土煮神・
   大戸之道神・大苫邊神・面足神・惶根神・伊弉諾神・伊弉冉神・天照皇大神・天忍穗耳神・
   彦火瓊々杵神・彦火々出見神・鵜茅葺不合神



境外摂社 下之宮




二荒山神社 摂社 下之宮

 当神社は二荒山神社の発祥の地(荒尾崎)に創建された神社で「二荒山神社摂社下之宮」と称し御祭神は本社(臼ヶ峰)に鎮斎される二荒山神社と同神「豊城入彦命」をおまつりしております。
 ご由緒は大変古く第十六代仁徳天皇の御代下毛野の国造であった奈良別王が東国治定の功績高い豊城入彦命を御祭神として国社をこの地に建立後世八三八年に峰続きの臼ヶ峰に本社を造営し発祥の聖地を下之宮として永く奉斎してきました。
 下之宮は長い歴史の中で丘陵は道路で分断され、招魂社は護国神社として移設しおよりの鐘は寺領に納め更に小高い丘は削滅しビル陰にて奉祀されてまいりました。
 相生町再開発事業と共に由緒深き聖地に下之宮のご復興をみたものである。
-摂社下之宮案内板-




     あづま路や  多くの夷  平らげて
               背けばうつの  宮とこそきけ      権律師謙忠


     鶏は羽に  はつねをうつの  宮柱          宰鳥(与謝蕪村)




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