2011年07月26日

摂津国一宮 坐摩神社


摂津国一宮 坐摩神社




摂津国一宮 坐摩神社 (いかすりじんじゃ)     通称 ざまじんじゃ

〔鎮座地〕 大阪府大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺3号

〔社格〕 旧官幣中社  摂津国西成郡の式内社・坐摩神社(大・月次・相甞・新甞)

〔御祭神〕 生井神  (いくいのかみ)
       福井神  (さくいのかみ)
       綱長井神  (つながいのかみ)
       波比岐神 (はひきのかみ)
       阿須波神 (あすはのかみ)
 以上五柱の御祭神を総称して坐摩神(いかすりのかみ)と申します。
 坐摩神は古語拾遺等によれば、神武天皇が即位された時、御神勅により宮中に奉斎されたのが起源とされ、坐摩の語源は諸説ありますが、土地又は居住地を守り給う意味の居所知(いかしり)が転じた名称といわれています。
-坐摩神社パンフレットから-



〔御神紋〕 鷺丸 (さぎまる)
 御神紋の白鷺は当社古来のものであり、その由来は神功皇后が坐摩神の御教により、摂津の国・大江の岸の田蓑島(現在の天満橋付近)の松枝に白鷺の群がる所を選び、坐摩神を奉斎なされたというご由緒によります。
-坐摩神社公式サイトから-


〔御由緒〕  大阪市内屈指のビジネス街、御堂筋本町の西方に鎮座する。 祭神五柱を坐摩大神(いかすりのおおかみ)と総称する。 大宮(皇居)の地霊の神として祀られ、大きな信仰と勢力を持った神社で住吉大社とともに摂津国一の宮となる。 平安時代には神祇官の西院に祀られた神で、朝廷の尊崇篤く、現在も皇居において大宮地の守護神として祀られている。
 明治天皇御誕生の折に当社で御安産の御祈祷が行われ、また『万葉集』には遠征の無事を坐摩神に祈る防人の歌が記載されており、住居守護や安産、旅行安全の神として信仰される。
 当初の鎮座地は、大坂城西方の天満橋南詰付近であったが、豊臣秀吉の大坂城築城に際し現在地へ遷座され、旧社地には現在行宮が鎮座する。 本殿以下建物は昭和二十年(一九四五)の戦火に罹り、昭和三十四年に再建された。
-『全国一の宮めぐり』から-



             拝殿                             本殿











境内末社


大江神社

    〔御祭神〕 神功皇后(じんぐうこうごう)
           應神天皇(おうじんてんのう)
           武内宿禰(たけうちのすくね)




       〔左〕 繊維神社
  天羽槌雄神(あめのはづちおのかみ)
  天棚機姫神(あめのたなばたひめのかみ)
       〔右〕 大國主神社
  大國主命(おおくにぬしのみこと)
  事代主命(ことしろぬしのみこと)
  少彦名命(すくなひこなのみこと)




       〔左〕 天満宮
  菅原道眞公 (すがわらのみちざねこう)

       〔右〕 相殿神社
  春日大神・住吉大神他十坐





       〔左〕 陶器神社
  大陶祇神(おおすえつみのかみ)
  迦具突智神(かぐつちのかみ)

       〔右〕 稲荷神社
 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)




行宮 (御旅所)


     行宮 (あんぐう)  「御旅所」       大阪府大阪市中央区石町

〔御祭神〕 豊磐間戸神 (とよいわまどのかみ)
       奇磐間戸神 (くしいわまどのかみ)
 当社の創祀は神功皇后がこの地に坐摩神を奉祀されたのが始まりとされています。
 現在この地は坐摩神社行宮と称し、本殿には門戸・玄関・窓を守り給う豊磐間戸神・奇磐間戸神の二神が奉斎され、拝殿には神功皇后がご休息された鎮座石が今も残ります。 石町という地名はこの鎮座石に由来します。
 平安期には熊野詣が盛んになり、京都から摂津・和泉を経て熊野本宮に至る熊野古道沿いに熊野王子社が数多く設けられました。 この地は淀川を船で下り、最初に参詣する第一王子とも呼ばれる渡辺王子社(別名窪津王子社)のもとの鎮座地ともいわれています。
-坐摩神社パンフレットから-




上総国の防人の歌

          庭中の 阿須波の神に 小柴さし
                 吾は斎はむ 帰り来までに


          右一首   張丁  若麻績部諸人          -『万葉集』(四三五〇)-


  

Posted by 閑人 at 23:21Comments(0)TrackBack(0)神社巡詣