2011年04月26日

第49番 浄土寺


四国八十八カ所 第49番札所 浄土寺




西林山 三蔵院 浄土寺 (じょうどじ)

〔所在地〕 愛媛県松山市鷹子町1198

〔宗派〕 真言宗豊山派

〔本尊〕 釈迦如来

〔開基〕 恵明上人

〔真言〕 のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

〔略縁起〕 天平勝宝年間(749~757)、恵明上人の開基とされ、のちに大師が再興して霊場と定めた。 戦火で焼失するも、文明14年(1482)に国主の河野通宣によって再建された。 この寺近在の人々は、この一帯を「空也谷」と呼ぶ。 これは、70年間の生涯を民間での念仏教化に捧げたといわれる空也上人が、ここに3年間滞在していたため。 上人がこの地を去るときに自ら刻んだという空也像は、現存しており、寺宝とされている。
-『四国八十八カ所』から-



              本堂                           大師堂













〔左〕 愛染堂と阿弥陀堂

〔右〕 正岡子規の句碑
霜月の空也は  骨に生きにける
                        子規




          十悪の 我身を棄てず そのままに
                        浄土の寺へ まゐりこそすれ


  

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2011年04月25日

第48番 西林寺


四国八十八カ所 第48番札所 西林寺




清滝山 安養院 西林寺 (さいりんじ)

〔所在地〕 愛媛県松山市高井町1007

〔宗派〕 真言宗豊山派

〔本尊〕 十一面観世音菩薩

〔開基〕 行基菩薩

〔真言〕 おん まか きゃろにきゃ そわか

〔略縁起〕 天平13年(741)、行基が現在の松山市小野播磨塚近くに開基。 約60年後の大同2年(807)、弘法大師が当時の国司、越智実勝とともに寺を現在地に移し伽藍を再建、四十八番目の札所に定めた。 境内の西南150mほどの場所にある杖の渕は、大師の伝説がある。 日照りに苦しむ人のため、大師が地に錫杖を突き立て一心に祈願すると、清水が湧き出て淵(泉)となり、人々の困苦を救った。 この淵の水は、「名水百選」に選ばれている。
-『四国八十八カ所』から-



              本堂                           大師堂













〔左〕 閻魔堂

〔右〕 正岡子規の句碑
  秋風や 髙井のていれぎ 三津の鯛
                          子規




        弥陀仏の 世界を訪ね 行きたくば
                             西の林の 寺に詣れよ


  

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2011年03月19日

第47番 八坂寺


四国八十八カ所 第47番札所 八坂寺




熊野山 妙見院 八坂寺 (やさかじ)

〔所在地〕 愛媛県松山市浄瑠璃町八坂773

〔宗派〕 真言宗醍醐派

〔本尊〕 阿弥陀如来

〔開基〕 役行者小角

〔真言〕 おん あみりた ていぜい からうん

〔略縁起〕 四国八十八か所の四十七番札所である。 熊野山妙見院と号し、総本山醍醐寺末寺で、真言宗古義派の寺院である。 
 寺伝によると、六〇〇年代に修験道の開祖役行者小角が開山、大宝元(七〇一)年に文武天皇の勅願所として小千(越智)伊予守玉興が七堂伽藍を建てたという。
 中世には、紀伊国(和歌山県)から熊野権現が勧進され、十二社明神がまつられて熊野山八坂寺と呼ばれるようになった。 七堂伽藍をはじめ一二の宿坊、四八の末寺を持つ大寺院で、修験道の根本道場として栄え、隆盛を極めたという。 戦国時代に兵火のため堂宇が灰燼に帰し、後に再興して今の地に移ったと伝えられる。 この寺は修験道場のため、住職は代々八坂家の世襲であり、百数十代になるという。
 本尊は、鎌倉時代の僧源信(恵心僧都)の作と伝えられる阿弥陀如来坐像である。
     松山市      松山市教育委員会
-境内案内板から-



             本堂                            大師堂












〔左〕 山門(単層小型の橋山門) 
赤い欄干の橋がかかる橋山門

〔右〕 山門の天井画
山門の天井には極楽浄土の絵が描かれている。



〔左〕 閻魔堂
極楽の途・地獄の途に分れ、
美しい極楽浄土・凄惨な地獄の絵が描かれている。
〔右〕 熊野十二社権現堂
八坂寺の鎮守熊野十二社権現




             花を見て 歌詠む人は 八坂寺
                            三仏じょうの 縁とこそ聞け


  

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2011年03月17日

第46番 浄瑠璃寺


四国八十八カ所 第46番札所 浄瑠璃寺




医王山 養珠院 浄瑠璃寺 (じょうるりじ)

〔所在地〕 愛媛県松山市浄瑠璃町282

〔宗派〕 真言宗豊山派

〔本尊〕 薬師如来

〔開基〕 行基菩薩

〔真言〕 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

〔略縁起〕 和銅元年(708)、行基が奈良の大仏開眼に先だって仏教布教のためにこの地を訪れ、仏教流布の最適地と確信し、伽藍を建立。 寺号は、薬師如来のいる場所が浄瑠璃浄土ということ、また薬師如来の別名が瑠璃光如来ということに由来している。 のちの大同2年(807)、大師もこの地を訪れて堂宇を創建。 四国霊場のひとつと定めた。 正徳5年(1715)には山火事でほとんどが焼失するも、庄屋出身の僧尭音により、再建された。
-『四国八十八カ所』から-


              本堂                           大師堂












〔左〕 伊吹柏槙(イブキビャクシン)の大樹
松山市指定天然記念物
樹齢千年を超すといわれ
大師お加持の霊木と伝えられる

〔右〕 正岡子規の句碑
 
   永き日や  衛門三郎  浄瑠理寺 
                        子規




〔左〕 仏手石
あらゆる 知恵と技能 ひらく
文化を造り出す手に感謝を

〔右〕 一願弁財天堂  
願い事をひとつ叶えてくれるという




           極楽の 浄瑠璃世界 たくらへば
                           受くる苦楽は 報いならまじ


  

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2011年03月15日

第45番 岩屋寺


四国八十八カ所 第45番札所 岩屋寺




海岸山 (かいがんざん) 岩屋寺 (いわやじ)

〔所在地〕 愛媛県上浮穴郡久万高原町七鳥1468

〔宗派〕 真言宗豊山派

〔本尊〕 不動明王

〔開基〕 弘法大師

〔真言〕 のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うん たらた かんまん

〔略縁起〕 弘仁6年(815年)、弘法大師が霊地をさがしてこの地に入山したところ、法華仙人と呼ばれる女性に出会う。 大師に深く帰依した仙人は、山を大師に献上して往生を遂げた。 大師は、木像と石像の2体の不動明王を刻み、木造は本堂に安置し、石像は奥の院の岩窟に秘仏として封じ込め、この山全体を本尊としたという。 本堂右側の山は金剛界峰、左の鐘楼門に面する山は胎蔵界峰と名づけられ、国の名勝に指定されている。
-『四国八十八カ所』から-



              本堂                            岩屋











岩屋  国指定名勝  (昭和19年11月7日指定)
 仁淀川の上流、直瀬側とその付近の苦汁久谷に渡って広がる名勝岩屋は、四国八十八ヶ所45番札所、海岸山岩屋寺(弘仁6年(815)弘法大師42歳の時の開基と伝えられる)を中心とする地域である。  ここには金剛界峰、胎蔵界峰と呼ばれる100mほどの二大奇峰を含む無数の礫岩峰がそびえ、特異な景観を示している。 第三紀礫岩層からなるこれらの礫岩峰にはイワヒバ、セッコク、フウラン等が群生し、谷あいにはスギ、トチの巨木老木がおい茂り、地質学・植物学的にも貴重な資料となっている。  岩屋山の山頂は旧遍路道から岩屋寺に登りつめた峰近くにある。 そこからの眺めは素晴らしく、晴れた日には、郡内一円の高峰が一望できる。
 久万高原町教育委員会    久万高原町
-境内案内板から-


                             大師堂


岩屋寺大師堂  国指定重要文化財 (平成19年6月18日指定)
 岩屋寺は四国霊場四十五番の札所として知られている。  大師堂は、本県出身で大蔵省臨時議員建築局技手であった河口庄一が設計監督し、現場監督は冨永常吉、児島嘉太郎、大工は窪田文治郎、冨永榮三郎、高野亀吉、彫刻は林琴次、高石源次郎らで、大正9(1920)年に建築された。  大師堂は宝形造で銅板葺である。構成は伝統的な寺院建築を基調としているが、向拝柱にはエンタシスを付け、柱頭部にバラと組紐飾り状の装飾を施すなど細部意匠に西洋建築の手法を取り入れながらまとめられており、我が国の近代建築意匠上、高い価値が認められる。
 久万高原町教育委員会   久万高原町
-境内案内板から-



         山門               参道の石仏              穴禅定




          大聖の 祈る力の げに岩屋
                           石の中にも 極楽ぞある


  

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2011年03月11日

第44番 大寶寺


四国八十八カ所 第44番札所 大寶寺




菅生山 大覚院 大寶寺 (だいほうじ)

〔所在地〕 愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生2番耕地1173

〔宗派〕 真言宗豊山派

〔本尊〕 十一面観世音菩薩

〔開基〕 明神右京・隼人

〔真言〕 おん まか きゃろにきゃ そわか

〔略縁起〕 この寺の開基には二説ある。 一つは、大宝元年(701)、百済から来た僧が渡来してこの地に庵を結び、十一面観音菩薩を刻んで本尊とした説。 もう一つは、明神右京、隼人という兄弟の狩人がこの地で観世音菩薩を発見し、小袖に包んで安置した説。 いずれにしても、大宝年間(701~704)には、文武天皇の勅願所となり、その年号にちなんで大宝寺と号された。 弘法大師が来錫したのは、弘仁年間(810~824)。
-『四国八十八カ所』から-



              本堂                           大師堂












        吽形像              仁王門 (楼門)            阿形像


久万町指定文化財  金剛力士像
    材質  檜
    高さ  約三メートル
 この金剛力士像二基は、享徳四年(一四五五年)に越前(福井県)の大仏師が作ったとされる。  作者は不明だが、大仏師は『法眼』という称号であったということは判っている。
 仏の守護神であり、外敵を威嚇する身振りと表現を表し、正面から見て右の像は左手に金剛杵を持ち一喝するように口を開け、左の像は右手の指を開き怒気を帯びて口を結ぶ。二つの像を区別するとき口を開ける像を阿形の像、口を結ぶ像を吽形の像という。
 明治七年(一八七四年)の大火で門は焼けたものの、この像は無事であった。昭和二七年(一九五二年)京都に修復に出して現在に至っている。
   平成七年八月九日指定    久万町教育委員会
-境内案内板から-



  〔左〕 種田山頭火 句碑

 朝まゐりは  わたくし一人の
 銀杏ちりしく       山頭火

     〔右〕 掘出観音堂




          今の世は 大悲の恵み 菅生山
                       ついには弥陀の 誓いをぞまつ


  

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2011年03月09日

第43番 明石寺


四国八十八カ所 第43番札所 明石寺




源光山 円手院 明石寺 (めいせきじ)

〔所在地〕 愛媛県西予市宇和町明石201

〔宗派〕 天台寺門宗

〔本尊〕 千手観世音菩薩

〔開基〕 正澄上人

〔真言〕 おん ばざら たらま きりく そわか

〔略縁起〕 欽明天皇の勅願により、行者円手院正澄が千手観世音菩薩を安置したのが始まり。 天平6年(734)には、行者寿元が12坊を建立して修験の道場とした。 のちの弘仁13年(822)、嵯峨天皇の勅願でこの地を訪れた大師が荒れ果てた伽藍を見て再興し、霊場と定める。 建久5年(1194)には源頼朝が、自身の命の恩人である池禅尼の菩提を弔うために一堂を建立。 それまでの山号の現光山を源光山と改めた。
-『四国八十八カ所』から-


              本堂                           大師堂












           山門 (仁王門)                  明石寺鎮守 熊野神社












           聞くならく 千手の誓ひ 不思議には
                              大盤石も 軽くあげ石


  

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2011年03月07日

第42番 佛木寺


四国八十八カ所 第42番札所 佛木寺




一果山 毘盧舎那院 佛木寺 (ぶつもくじ)

〔所在地〕 愛媛県宇和島市三間町則1683

〔宗派〕 真言宗御室派

〔本尊〕 大日如来

〔開基〕 弘法大師

〔真言〕 おん あびらうんけん ばざら だどばん

〔略縁起〕 大同2年(807)、大師はこの地で牛を引く一人の老人に出会う。 すすめられるままに牛の背に揺られて進むと、大きなくすのきのこずえに一果の宝珠がかかり、きらきらと輝いているのを発見する。 見ると、大師が唐の恵果阿闍梨から拝受し、「有縁の地を選ばれるように」と日本に向かって投げた仏祖伝来の宝珠であった。 大師はこの地が霊地であると察し、そのくすのきで大日如来を刻んで、宝珠をその眉間におさめ、一堂を建立した。
-『四国八十八カ所』から-



              本堂                           大師堂












    茅葺の鐘楼堂           聖徳太子堂                  不動堂




             草も木も 仏になれる 仏木寺
                             なお頼もしき 鬼畜人天


  

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2011年03月06日

第41番 龍光寺


四国八十八カ所 第41番札所 龍光寺




稲荷山 護国院 龍光寺 (りゅうこうじ)

〔所在地〕 愛媛県宇和島市三間町戸雁173

〔宗派〕 真言宗御室派

〔本尊〕 十一面観世音菩薩

〔開基〕 弘法大師

〔真言〕 おん まか きゃろにきゃ そわか

〔略縁起〕 大同2年(807)、この地を巡錫していた大師は、稲を背負った白髪の老人に出会う。 老人は「私はこの地で仏法を守護し、人々の利益となるようにしたい」と告げ、姿を消した。 大師は彼こそ五穀大明神の化身と察し、尊像を刻んで稲荷大明神として安置したという。 その後、明治の神仏分離令により、旧本堂を稲荷社とし、その下段に十一面観音を本尊とする新本堂が建てられた。 そのため、この寺の山門は鳥居になっている。
-『四国八十八カ所』から-


              本堂                           大師堂












稲荷神社由緒 (三間のお稲荷さん)

 当神社は、大同二年(西暦八〇七年)に京都の稲荷神社を宇和郡戸雁村にお迎えしたといわれております。
稲荷神社に鎮座まします御祭神
  主祭神  豊宇気姫命    配神  猿田彦命・大宮女大神
稲荷神社の建造物
  本殿  木造三間社流造  柿葺  三間町文化財指定 
  弊殿  木造切妻造  瓦葺
  拝殿  木造入母屋造  瓦葺
稲荷神社の初午祭(特殊神事)
  毎年三月の第一日曜日
稲荷神社の御神徳
  五穀豊穣  商売繁盛
 をもたらす神様として、広く庶民に崇め奉られております。
 赤い鳥居・狐の狛犬に象徴されるお稲荷さんは、南予一円からの参拝も盛んで、特に初午祭は人々の暮らし深くなじんでいるまつりで、当地方随一の賑わいを呈しております。
-境内案内板から-



            山門は鳥居                        稲荷神社













            この神は 三国流布の 密教を
                             守り給わむ 誓いとぞ聞く


  

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2011年03月04日

第40番 観自在寺


四国八十八カ所 第40番札所 観自在寺




平城山 薬師院 観自在寺 (かんじざいじ)

〔所在地〕 愛媛県南宇和郡愛南町御荘平城2253-1

〔宗派〕 真言宗大覚寺派

〔本尊〕 薬師如来

〔開基〕 弘法大師

〔真言〕 おん ころころ せんだりまとうぎ そわか

〔略縁起〕 第一番霊山寺からいちばん遠くに位置することから、「四国霊場の裏関所」と呼ばれる。 大同2年(807)、平城天皇の勅願所として弘法大師が開創。 歴代の天皇の信仰が厚く、特に平城天皇、嵯峨天皇は御朱印を下し、一切経と大般若経をおさめたという。 かつては、48もの末寺を持つほど寺運は隆盛を迎えたが、たび重なる災禍により衰退。 さらに、昭和34年の火災で本堂を焼失するが、同39年には大師創建当時の姿に再建された。
-『四国八十八カ所』から-



              本堂                           大師堂












山門の扁額・平城山       山門 (仁王門)            八体仏十二支守り本尊




〔左〕 芭蕉の句碑

春の夜や 籠人ゆかし 堂の隅

〔右〕 篠山大権現
観自在寺の鎮守



        三鈷杵              寶聚殿八角堂             心経宝塔




           心願や 自在の春に 花咲きて
                         浮世のがれて 住むやけだもの


  

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2011年03月02日

第39番 延光寺

四国八十八カ所 第39番札所 延光寺




赤亀山 寺山院 延光寺 (えんこうじ)

〔所在地〕 高知県宿毛市平田町中山390

〔宗派〕 真言宗智山派

〔本尊〕 薬師如来

〔開基〕 行基菩薩

〔真言〕 おん ころころ せんだりまとうぎ そわか

〔略縁起〕 神亀元年(724)、聖武天皇の勅願により行基が開基し、亀鶴山施薬院宝光寺と号を定めたのが始まり。 のちの延暦14年(795)、大師が桓武天皇の祈願所として再興。 日光・月光菩薩を本尊の脇侍として安置し、札所に定めた。 100年以上たった延喜11年(911)、姿を消していた寺の池の赤亀が、竜宮城から銅鐘を背負って帰ってきたことから、山号と寺号が改められた。 境内の池のほとりには、この亀の石像が安置されている。
-『四国八十八カ所』から-



              本堂                           大師堂













〔左〕 梵鐘を背負った赤亀の像
延喜11年、竜宮城から梵鐘を背負って帰ってきた伝説の赤亀。
〔右〕 宝医水 (眼洗いの井戸)
大師が湧かせた眼病に霊験のある霊水。



           山門 (仁王門)                     境内の庭園












           南無薬師 諸病悉除の 願こめて
                           詣る我が身を 助けましませ


  

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2011年02月28日

第38番 金剛福寺

四国八十八カ所 第38番札所 金剛福寺




蹉跎山 補陀洛院 金剛福寺 (こんごうふくじ)

〔所在地〕 高知県土佐清水市足摺岬214-1

〔宗派〕  真言宗豊山派

〔本尊〕 三面千手観世音菩薩

〔開基〕 弘法大師

〔真言〕 おん ばざら たらま きりく そわか

〔略縁起〕 四国の最南端にあるこの寺は、弘仁13年(822)、嵯峨天皇から「補陀洛東門を建立せよ」との勅願を受けて大師が建立した。 補陀洛とは、梵語のポータラカを漢字であらわしたもので、インドの南海岸に位置する観世音菩薩が住む山をいう。 山号の蹉跎山の「蹉」も「跎」も「足をすって歩く」という意味。 当時からここが巡拝の難所であったことがうかがえる。 開基以来、代々天皇の勅願所となり、土佐最大級寺院となった。
-『四国八十八カ所』から-



              本堂                           大師堂













〔左〕 山門の扁額
「補陀洛東門」
三筆・嵯峨天皇の勅額?

〔右〕 山門 (仁王門)




   〔左〕 和泉式部逆修塔
       (宝篋印塔)
和泉式部の黒髪が埋められているという

   〔右〕 多宝塔



       大師亀                 愛染堂                不動堂





         ふだらくや ここは岬の 船の棹
                         取るも捨つるも 法のさだやま


  

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2011年02月26日

第37番 岩本寺

四国八十八カ所 第37番札所 岩本寺




藤井山 五智院 岩本寺 (いわもとじ)

〔所在地〕 高知県高岡郡四万十町茂串町3-13

〔宗派〕 真言宗智山派

〔本尊〕 不動明王・観世音菩薩・阿弥陀如来・薬師如来・地蔵菩薩

〔開基〕 行基菩薩

〔真言〕
不動明王 のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん
観世音菩薩 おん あろりきゃ そわか
阿弥陀如来 おん あみりた ていぜい からうん
薬師如来 おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
地蔵菩薩 おん かかかびさんまえい そわか

〔略縁起〕 天平年間(729~749)に聖武天皇の勅願で、行基が七難即滅、七福即生を祈念して七つの寺をこの地に建立したのが始まり。 のちの弘仁年間(810~824)、この地を訪れた大師がさらに5社5カ寺を建立し、本尊をそれぞれに祀った。 先に建てられた7カ寺と合わせて「仁井田十二福寺」と称され隆盛を誇るも、天正の兵火ですべて焼失。 幡多の一条公の力により再興され、現在の寺号に改められた。
-『四国八十八カ所』から-



              本堂                           大師堂











                           山門 (仁王門)


 

     歓喜天を祀る円形の聖天堂         マリリン・モンローもみられる本堂の天井画













        六つのちり 五つの柱 あらわして
                         深き仁井田の 神のたのしみ


  

Posted by 閑人 at 21:00Comments(0)TrackBack(0)四国八十八ヶ所

2011年01月16日

第36番 青龍寺


四国八十八カ所 第36番札所 青龍寺




独鈷山 伊舎那院 青龍寺 (しょうりゅうじ)

〔所在地〕 高知県土佐市宇佐町竜163

〔宗派〕 真言宗豊山派

〔本尊〕 波切不動明王

〔開基〕 弘法大師

〔真言〕のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん

〔略縁起〕 延暦23年(804)、大師は唐に渡って恵果和尚に真言密教の奥義を授けられた。 その師の恩に報いるため、大師は日本に一寺の建立を誓い、唐の地から日本の地に向かって、独鈷杵(密教の仏具)を空高く投げる。 帰国した大師は四国を巡錫し、この地で松の枝にかかった独鈷を見つけたという。 これを嵯峨天皇に奏聞して、この地に本堂を建立。 寺号は、恵果和尚が修行した長安の青龍寺を偲んでつけられたもの。
-『四国八十八カ所』から-



              本堂                            大師堂













  〔左〕 山門(仁王門)


  〔右〕 西国三十三観音堂





          わずかなる 泉に棲める 青龍は
                             仏法守護の 誓いとぞきく


  

Posted by 閑人 at 15:34Comments(0)TrackBack(0)四国八十八ヶ所

2011年01月15日

第35番 清瀧寺


四国八十八カ所 第35番札所 清瀧寺




醫王山 鏡池院 清瀧寺 (きよたきじ)

〔所在地〕 高知県土佐市高岡町丁568-1

〔宗派〕 真言宗豊山派

〔本尊〕 薬師如来

〔開基〕 行基菩薩  

〔真言〕 おん ころころ せんだりまとうぎ そわか

〔略縁起〕 養老7年(723)、行基はこの地に本尊の薬師如来像を刻み、一寺をおこして影山密院繹木寺と名づけた。 のちの弘仁年間(810~824)、大師がこの地で五穀豊穣を祈って修法した際、満願の日に金剛杖で地を打つと、清らかな水が滝のようにあふれ出したという。 そこで寺号を清滝寺と改めた。 境内の西には、大師の弟子であり、平城天皇の第3皇子、高岳親王の逆修塔(生前に自ら建てる墓)がある。
-『四国八十八カ所』から-



              本堂                           大師堂











 〔左〕 厄除け薬師如来像
内部の戒壇巡りをすると厄除けのご利益があるという

 〔右〕 高岳親王逆修塔拝殿
     (入らずの山)




            澄む水を 汲むは心の 清瀧寺
                              波の花散る 岩の羽衣


  

Posted by 閑人 at 15:21Comments(0)TrackBack(0)四国八十八ヶ所

2011年01月14日

第34番 種間寺


四国八十八カ所 第34番札所 種間寺




本尾山 朱雀院 種間寺 (たねまじ)

〔所在地〕 高知県高知市春野町秋山72

〔宗派〕 真言宗豊山派

〔本尊〕 薬師如来

〔開基〕 弘法大師

〔真言〕 おん ころころ せんだりまとうぎ そわか

〔略縁起〕 種間寺の歴史は古く、創建は用明天皇の時代(585~587)までさかのぼる。 敏達天皇のころ、大坂四天王寺の建立に来ていた百済の仏師が、帰国の途中で嵐にあい、当山にほど近い秋山の港に避難した。 彼らは航海の安全を祈って薬師如来像を彫り、本尾山に安置したという。 これが当山の始まり。 のちに大師が四国霊場として開創し、唐から持ち帰った五穀(米、麦、粟、きび、豆)の種を寺の境内にまいたとか。 これが寺号の由来。
-『四国八十八カ所』から-


              本堂                           大師堂












  〔左〕 子育観音堂
   底の抜けた柄杓が奉納

  〔右〕 大師像
   歩く姿の大師像




          世の中に 蒔ける五穀の 種間寺
                           深き如来の 大悲なりけり


  

Posted by 閑人 at 18:27Comments(0)TrackBack(0)四国八十八ヶ所

2011年01月13日

第33番 雪蹊寺

四国八十八カ所 第33番札所 雪蹊寺




高福山 高福院 雪蹊寺 (せっけいじ)

〔所在地〕 高知県高知市長浜857-3

〔宗派〕 臨済宗妙心寺派

〔本尊〕 薬師如来  

〔開基〕 弘法大師

〔真言〕 おん ころころ せんだりまとうぎ そわか

〔略縁起〕 四国霊場の中で禅宗の寺は、第十一番札所藤井寺と、ここ雪蹊寺のみ。 延暦年間(782~806)の大師による開基のときには、保寿山高福寺と称する真言宗のの寺だった。 天正年間(1573~1592)に長宗我部元親の保護を受けることになり、臨済宗の寺となる。 明治期の廃仏毀釈により、廃寺の危機に見舞われるも、明治17年に再興された。 本尊の薬師如来像は鎌倉期の仏師、運慶の作。 国の重要文化財に指定されている。
-『四国八十八カ所』から-



              本堂                           大師堂











太玄塔・玄峰和尚像
雪蹊寺が廃仏毀釈の後、再興に尽力した十七世山本太玄宜點和尚のために、養子継法となった玄峰和尚が建立した塔で碑文は裏側に刻まれています。
土居楠五郎(保)墓碑
坂本龍馬の剣の師、土居楠五郎(保)夫妻の墓



長宗我部元親を祀る秦神社

  主祭神  長宗我部少将元親霊  
  付祭神  秦家代々霊 家臣忠死の徒霊





            旅の道 うえしも今は 高福寺
                           後のたのしみ 有明の月


  

Posted by 閑人 at 17:41Comments(0)TrackBack(0)四国八十八ヶ所

2011年01月12日

第32番 禅師峰寺


四国八十八カ所 第32番札所 禅師峰寺




八葉山 求聞持院 禅師峰寺 (ぜんじぶじ)

〔所在地〕 高知県南国市十市3084

〔宗派〕 真言宗豊山派

〔本尊〕 十一面観世音菩薩

〔開基〕 行基菩薩

〔真言〕 おん まか きゃろにきゃ そわか

〔略縁起〕 土佐湾を見下ろす峰山の山頂にある当山は、神亀年間(724~729)に行基が開基した。 大同2年(807)、大師が土佐の海の航海を祈願して十一面観世音菩薩を刻み、本尊としたという。 この大師作の十一面観世音菩薩は「船魂観音」とも呼ばれ、土佐藩主の山内一豊も参勤交代の際には、必ずここにお参りしたという。 山号は、峰山の山容が8葉の白蓮に似ていることからこの名がついた。
-『四国八十八カ所』から-



              本堂                          大師堂












〔左〕 本尊は十一面観世音菩薩


〔右〕 大師堂の大師像




〔左〕 山門(仁王門)


〔右〕 境内からは土佐湾が一望





          静かなる 我がみなもとの 禅師峰寺
                              浮かぶ心は 法の早船


  

Posted by 閑人 at 11:26Comments(0)TrackBack(0)四国八十八ヶ所

2011年01月11日

第31番 竹林寺


四国八十八カ所 第31番札所 竹林寺





五台山 金色院 竹林寺 (ちくりんじ)

〔所在地〕 高知県高知市五台山3577

〔宗派〕 真言宗智山派

〔本尊〕 文殊菩薩

〔開基〕 行基菩薩

〔真言〕 おん あらはしゃのう

〔略縁起〕 神亀元年(724)、聖武天皇の勅願により行基が開基した。 天皇は、文殊菩薩の聖地である唐の五台山で文殊菩薩に会う夢を見た。 そしてすぐさま行基に、五台山に似た山をさがして伽藍を建立せよと勅命。 行基は土佐の五台山を選び、本尊の文殊菩薩像を刻んで堂宇を建てたという。 のちの大同年間(806~810)、大師が当山に滞在して修行し、荒廃した寺塔を修復して四国霊場の一つと定めた。
-『四国八十八カ所』から-



           本堂 (文殊堂)                    本尊は文殊菩薩像











        大師堂              山門 (仁王門)             船岡堂





          南無文殊 三世の仏の 母と聞く
                         我も子なれば 乳こそほしけれ


  

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2011年01月10日

第30番 善楽寺


四国八十八カ所 第30番札所 善楽寺





百々山 東明院 善楽寺 (ぜんらくじ)

〔所在地〕 高知県高知市一宮しなね2丁目23-11

〔宗派〕 真言宗豊山派

〔本尊〕 阿弥陀如来

〔開基〕 弘法大師

〔真言〕 おん あみりた ていぜい からうん

〔略縁起〕 かつて神辺郷と呼ばれた、土佐でもっとも古くから栄えた地に建つ善楽寺は、大同の頃(806~810)に土佐国一ノ宮・総鎮守である高鴨大明神の別当寺として弘法大師が開いた。 神仏習合の寺として長く栄えたものの、明治の神仏分離令で廃寺となって以降、数奇な運命をたどることになる。 まず本尊が安楽寺に移されたこともあり、30番札所が安楽寺に変更。 善楽寺が昭和4年に再興されると、今度は30番札所の納経が善楽寺と安楽寺の2ヶ寺で行われ、お遍路さんが戸惑うことに。 「30番札所は善楽寺」という現在の状況に落ち着いたのは平成6年だ(安楽寺は善楽寺の奥の院になった)。 境内には安産・子宝祈願の子安地蔵、首から上の病気に御利益があるとされる梅見地蔵、厄除けや交通安全に霊験あらたかとされる大師像などがあり、これらを祈願する参拝者も多く訪れる。
-『ドライブお遍路』から-



              本堂                           大師堂












隣接して土佐国一宮の土佐神社が建つ。 善楽寺は土佐神社の別当寺であった。













土佐国一宮 土佐神社       通称 志奈禰様 (しなねさま)

〔鎮座地〕 高知県高知市一宮しなね2丁目16-1

〔社格〕 旧国幣中社  土佐国土佐郡の式内社・都佐坐神社(大)

〔御祭神〕 味鋤高彦根神 (あじすきたかひこねのかみ)
       一言主神 (ひとことぬしのかみ)

〔由緒沿革〕 往昔土佐にます神、土佐高賀茂大社高賀茂大明神等と称し奉り、日本書紀によれば創立年代は遠く上古にあるものの如く夙に皇室の御崇敬篤く屡々勅使の参向あり、天慶三年には正一位の神階に進ませらる。 かくて土佐国総鎮守として武門の崇敬亦篤く殊に元亀元年豪将長曽我部元親は本殿、幣殿拝殿を再興し、慶長六年山内一豊、封を此の地に亨くるや以前の社領を免許し、二代忠義に至り摂末社を始め鳥居、楼門、鼓楼等を増築し国中最上の祈願所となした。 延喜の制には大社に列し、明治四年土佐神社と称して格を国幣中社に列した。
 (神社本庁別表神社)
-『神社名鑑』から-



          人多く  立ち集まれる  一の宮
                            昔も今も  栄えぬるかな


  

Posted by 閑人 at 11:14Comments(0)TrackBack(0)四国八十八ヶ所